先日、一中鉄血勤皇隊が四苦八苦した壕付近を整備して、立派な史跡として残したい、という趣旨のアピールをして、それに必要な「土止め用の木材が欲しい、古い電柱など、紹介してほしい」と、訴えたら、遥か東京の同窓生なる人からメールが入って、「私の方で引き受けよう」と、応援のメッセージが入った。びっくりしたなあ、もう。まさか、東京から電柱が送られるはずはないし、どのようにお願いしたものか、思案していたら、サークルの小さな口座に支援金が振り込まれたのだった。生半可な額ではない。非正規労働者の給料ほどはある。大変だ。皆真剣になった。もともと皆真剣ではあるが、取りあえず斜面の上部に残存する壕を整理して、そこに至る遊歩道を整備しなければならない。そして、それぞれの壕の前には、この壕がなんであるのか、遺跡としての意義を説明する表示板を建てなければならない。ちゃちなベニヤ板では、ダメ。できれば、石灰岩の板にしたいが、取りあえずプラスチック製の頑丈な板にするか。喧々諤々、そのための資金は、別建てでまた、同窓生のどなたかにお願いするとして、今目の前にある、遊歩道予定の坂道に向かって、最敬礼しなければならない。この遊歩道、完成したら東京の人を記念して、「飯田理恵子プロムナード」と命名しよう、と、皆、話し合った。