さて、31期生飯田理恵子さんのご支援によって、遊歩道が完成したとして、その上方にあるいくつかの壕を史跡として保存し、観光客にも首里高校の後輩たちにも、分かりやすく、その意義を説明するためには、ちゃんとした説明板が必要である。その文案は、実は、数年前からできている。これを、二〇会の先輩たちにお見せして、それでよければ、いよいよ「一中鉄血勤皇隊奮戦の地」として、開示したい。その文案をこれから、この欄で提案します。①「篠原坂(旧称”玉陵坂”);この坂は、琉球王国時代、首里城から金城町を経て識名台地、識名園に達する道として掘削されたが、沖縄一中鉄血勤皇隊が結成された昭和十九年暮れから、坂の左右に壕が掘られて、鉄血勤皇隊の活動の拠点となった。配属将校篠原中尉が、およそ百名の勤皇隊学徒を指導し、時にわが子わが兄弟のように愛護し、共に戦った場所として、生存者「二〇会」から、敬慕の気持ちを込めて、「篠原坂」と命名された。(現在は、戦後の道路工事で埋められ、その位置を示すだけに留める)