昭和20年(1945年)3月27日午後8時から、一中57期生と58期生の合同卒業式が、この地点で行われた。藤野校長ほか職員と第32軍の参謀、高級副官も参列。島田叡知事も駆けつけ、卒業する5年生、4年生と、見送る3年生が整列した。ただ一つ灯されたランプの周りに、艦砲射撃の標的にされないように、生徒数名が立ち、光を覆っていた。島田知事が、暗闇の中で、低い声で祝辞を述べた後で、「敵前で挙行される本日の卒業式は、我が国の歴史に前例のない日本一の卒業式である」と結んだ。最後に、第5砲兵司令部の佐野副官が「高等教育を受けた諸君を、軍はこれから下級士官、もしくは、上級下士官相当の戦闘能力を有する者として入隊を許可する」と述べ、文字通り「校門は営門に通する」事態となった。