沖縄県立首里高等学校:35期 掲示板

No.739 2011年忘年会会計報告&2012年同期会告知

2012/04/13(金) 09:56 - 6 組 わっちん@沖縄県那覇市 ()
皆さん、おはようございます。

沖縄上空を飛ぶ予定だった北朝鮮のロケット。高度40万フィートで一段目のブースターロケットを切り離した後、ばらばらになって海に落ちたらしいです。

多分ですが、ロケットの管制室では「ゆくしだろ~!」とか「あいひゃ~!」とか「皆でひんぎよう!」とかの声が漏れたと思います。

国威発揚のチャンスは失われ、しょんぼり。散々周りを脅しておいて「すーるびーロケット」飛ばしたら笑われるのだから、自国の真上に打ち上げでちゃんと飛ぶか確認しなさいって言ったのに…。


先日、会計の増美さんが作成した「2011年忘年会会計報告書」が回ってきたので添付しておきます。


今年の同期会の日時は

11月3日(土)18:30~21:00

日航那覇グランドキャッスル 守礼の間


で開催されます。横の繋がりを利用して皆さんに連絡して頂きたく、お願いします。

ではでは。さようなら。


2011年忘年会会計報告書 2011年忘年会会計報告書

No.738 おおっ!

2012/04/06(金) 20:46 - 6 組 わっちん@沖縄県那覇市 ()
皆さん、こんばんは。

ワタシが金城ダムに棄てたバトンをコンゴが拾ってカキコしてくれたので良かったです。
今後もコンゴ、よろしくです。

ホントは明日にでも幹事会を開催したかったのですが、北朝鮮が「衛星」を飛ばすと予告しているので、忙しいお方もいるのではないかと考え、ちと先延ばししました。何も沖縄方向へ打ち上げなくても…自国の真上に打ち上げて、ちゃんと飛ぶか確認して欲しいですね。

そんなこんなもあるのですが、ワタシは福岡の友人に頼まれて、台湾企業のコマーシャルの撮影をお手伝いしておりました。

頼まれた内容は「沖縄のおばーをキャスティングして欲しい」だったので、2日ばかり栄町でおばーばかり見てましたが、絵コンテを見ると、しっかり台詞があり…「絶望」というフィルターで全くおばーの顔が見えませんでした。

まぁ、若い女性ばかり見てるので、おばーを見る目がないと言えばそれまでなのですがね。

どうしようかなーと栄町りゅうぼうの駐車場で佇んでいて「!」と閃きました。隣近所のおばさん(今までおばさんと呼んでいたのに、いきなりおばーとは呼べませんね)に頼んでみよう~!

早速、栄町市場の中へ入り、おばさんの写真を撮り、メールしました。翌日、監督自ら足を運んでもらいオーディション。カメラテストもOKとなり、出演が決まり…かちゃーしーを踊ろうかなと思うくらい、ホッしました。

んで、4日、5日と二日間、付きっきりで演技指導をして、栄町市場のおばーを国際派女優に仕立てたわけでございます。


監督は周格泰氏。とてもおばーを気に入ってくれました。

ちなみに、そのおばさんは同期のりーこのお母さんです。

動画は周監督の作品。写真は監督と出演者の記念写真です。



首里金城町 首里金城町

No.737 ガーブ川のバトン

2012/04/02(月) 14:17 - 11 組 まえ だ ()
わっちん殿がガーブ川で何か拾ったようなので・・

小学生のころ、与儀公園で毎日遊んでた。ある日ガーブ川の中州の草ボーボーに
黄色い花が咲いていて、何か丸い実もなっている。
その頃のガーブ川は、今のように三壁コンクリートではなく川底に土やらいろんなのが
たまっていた。
その黄色い花と小さな丸い実をみると、どうもスイカのようにみえる。
上流のどこかの台所からスイカの種が流れてきたのでしょう。

公園で遊ぶたびに様子をみてたが、丸い実は毎日すくすく成長していた。
昔の子供にスイカは誘惑的だ!でも、さすがに子供でも「ガーブ川だからな~・・」と思っていた。

しかし、実がだんだん大きくなってくるのを見てると、それも迷いがでてくる。
迷ったり、いろんなこと考えていたと思います。

かなり期待してたが、しばらくして、どうも様子がおかしい事に気づいた。
実が大きくなってもスイカの模様がないのである・・。

「シブイ」だった!

残念な気持ちと、ああよかったの気持ちの交差です。
スイカだったら、どうなってただろうか・・。

よい子は食べてはいけません。

では、
バイバイ

No.736 沖縄生活

2012/03/29(木) 13:02 - 6 組 わっちん@沖縄県那覇市 ()
皆さん、こんにちは。

バトンがガーブ川に流れていたので拾いましたので書いてみます。

那覇市越して来て、10日が過ぎました。引越し荷物もボチボチ片付きましたが、久々のオキナワ生活に戸惑うことも多く、毎日が驚きの連続です。

先日、新居の近くのR新聞の販売店へ行きました。すみません!と中にいたおじーに声をかけたら、「何?」と言うので、新聞を購読したいと申し出たところ「はあ?」と言います。R新聞とNK新聞を購読したいんですが!ともう一度言ったところ、「はあ!新聞をとりたい?」と声をあげました。

「近頃は新聞やめたいってしか人は来ないよ。新聞とりたいっていう人はめずらしいね」
ワタシは何か間違ったことをしてるのかと思いました。とりあえず紙に住所と氏名、電話番号を書き、家に帰りました。

暫くして、NK新聞の代理店から住所の確認の電話が入ったので、ワタシが明日から配達して貰えるか聞いたところ…「明日からですか?あまったら入れておきましょうね」と返事がきて…戸惑いました。

一昨日、那覇警察署へ車庫証明の申請と運転免許の書き換えに行きました。新居の仲介をしてくれた不動産屋のねーちゃんが「保管場所使用承諾証明書」と「保管場所使用権原疎明書面」を間違えて押印してあって、突き返されました。時刻は午後3時時45分で、受付時間を確認したところ「午後5時まで。それ以降は明日の受付です」と言われました。

クルマで宜野湾市の不動産屋まで行き、書類を差し替えて貰い、那覇署へ戻りました。午後4時55分。改めて申請書を提出しました。少し待つように言われたので長いすに座り、受付カウンターのボードを見たら…受付時間が午後6時までとなっているではないですか!

先に受付にいたにいさんはいません。どう考えても…自分が帰る時間と受付終了時間を間違えて言ったのではないかと思えてなりません。

次に、運転免許証の住所変更をしました。届け書面に記入していると後ろで声がしました。「すみません。エレベーターは使えますか?」と男性が質問。別の男性が「ううぅん!でーじろ~!」。振り返るとY運輸のおにいさんがデカイ箱を台車に載せてUターンして行きました。

フツーなら「まだ修理中だよ」と警察官なら応えるのではないかな?と思った瞬間…「でーじろ~」がリフレインして…書き損じてしまいました。


徐々にオキナワ生活に馴染むと思いますが…時間がかかりそうです。


×××××

今年は4年に一度の同期会の年です。4月から幹事会をスタートさせて頑張ろうと思います。

ではでは。さようなら。




No.735 3月11日

2012/03/11(日) 18:41 - 6 組 わっちん@沖縄県那覇市 ()
皆さん、こんばんは。

相変わらず薄ら寒い掲示板。もし、37期の皆さんのようにバトンを回したら、あちこちでわざとバトンを落として「あいひゃ~!」とか聞こえそう。

どうせ続かないだろうなと思ったりする名付けて「絶望の掲示板」。頑張って書いていこうと思います。

先ずはお詫びからです。

昨年の大忘年会、参加出来ずですみません。山田町を出発したは良いのですが、大雪で、遠野市まで行きましたが、除雪作業をしなきゃとUターンしてしまいました。


年が明けて2月26日。マナー講習会をしてくれた同期のしろが再び山田町へ来てくれました。千葉の快適住宅暮らしだろうからと、わざわざ仮設住宅を宿泊場所として借りたのに…「快適だったよ」と相変わらずのーてんきなしろ。仮設住宅の悲惨な生活を体験させるには、お嬢様だったことが悔やまれました。

ワタシは去った2月29日で直接的な被災地での支援活動を辞めました。今後は那覇市に拠点を置き、例えば青森県からの雪に放射能が混ざっているとクレームがほんの僅か入ったとして、子供達が楽しみにしているだろうイベントを風評被害を助長するよう中止してしまう行政に徹底抗議すべく生きていこうと思っております。もちろん街宣車も作ろうと思うほど、本気でアタマにきましたからね。


去年の3月下旬から福島県南相馬市へ入りボランティア活動を開始しました。この掲示板のおかげで多くの皆さんから支援物資を送って貰い、それを被災者の皆様に配ることができ、こころから感謝しています。

その他には往診をするドクターカーの運転や、福島第一原発20Km圏内で生活する老人とその娘さんへの物資輸送、同県内に棄てられた犬たちを京都の動物保護団体へ引き渡しをしたり、鎖を切ったりしましたし、エサに釣られない猫たちへとエサと水を置いたりしました。

4月、5月は同じ南相馬市、宮城県石巻市、岩手県山田町などを回り、職を紹介したり、沖縄焼きそばを焼いたり、行方不明者捜索船の操船をしたりしました。

6月。震災後3ヶ月で岩手県山田町の山田湾を捜索飛行する陸上自衛隊ヘリコプターが撤収すると聞き、憤慨。空から捜索してあげようと思い、モーターパラグライダーのタンデム(二人乗り)エンジンユニットとグライダー(キャノピー)を購入。

が、しかし。フライト訓練中、離陸に失敗し、クルマに激突。左尺骨を開放骨折してしまい挫折(ToT)。

ようやく8月末から山田町へ入り、9月には住民登録。NPO主催の山田町災害復興支援隊という組織の立ち上げから、被災失業者約80人ばかりの採用を決めたりと、少しは役に立ったかなという具合。

年末。治っているだろう左尺骨の写真を撮ってみれば…粉砕ヶ所を結束してあったワイヤーが細かい骨の間に食い込み、疑関節との診断。治ってもいないのにうどんの箱80ケースとか運んだからな~と思い返すも、遅かったようです。

年が明けて、再手術。開けてワイヤーを抜き、人工骨をという事前の話とは違い、ワイヤーを抜いただけでオワリ。ま、筋が痛くなることは無くなりましたが、重い物を持つとじんわり痛みます。


ま、そんなことはどうでも良いのですが、雇用した被災失業者の皆さんが、どうも指示待ち状態で納得いかず。言うこと聞かんぱーも質が悪いですが、指示待ちも良くありませんね。

そんで、ワタシはサッサと身を引き、地元の方に責任者となってもらうことにしました。

今後は、栄町で飲み屋を開き、東北から食材を仕入れて皆さんに食べて貰おうと画策しております。

明日、再び那覇市民になるわけでございます。復興支援には10年から15年の時間が必要です。今後は腰を落ち着けて、活動していきたいと思います。

長々と失礼しやした。バトンはその辺に置いておきますから、勝手に取ってカキコしてくださいね。

ではでは、さようなら。


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