沖縄県立首里高等学校:11期 掲示板

No.11 「40歳以上に朗報」補足説明

2001/12/13(木) 01:26 - 22 組 超朗 ()
弱輩さんへ

ご意見ご感想有難うございます。
文章の出だしのカッコ(「)と終わりのカッコ(」)内は、そっくり本の中から抜粋したものです。
「うつつをぬかす」「惰性」という言葉も本にあるとおりです。
「主観が入ってない」というのは、本の中の一部を紹介したということで、私の感想は一切述べてないという意味です。
どう受け取るかは、読む人に判断してもらうつもりでしたが、無責任すぎましたかね。

これから主観を申し上げるとすれば、弱輩さんの「創ることが生業」が素晴らしいと思うし、うらやましい限りです。
これまで私がやってきた事は、目の前におきた問題だけに振り回されることが多かったと思います。
ですから、作家、研究者、脚本家等の「創造する人」たちは、時代の先導者としての責任を負い、やり甲斐もあるのではないかと、うらやかしくもあり尊敬もしています。
弱輩さんの作品を是非見たいです。35期のページにPRしてください。時々のぞいておきますから。
弱輩さんなんて呼ぶと、どうも失礼なような気がして、以後「若ホープ」さんと言い換えることにします。

「おぢーのリアリズム」で人生相談を、というご意見ですが、自分の家族さえ説得出来ない身でして、逆立ちしても無理ですね。
もし80才まで生き延びて、犬養道子さんが仰るように頭脳が冴えておれば、自分から申し出てこのshuri.netにご希望のリアリズムを開設しますから、期待して待っていて下さい。
その時は、「若ホープ」さんも回答者になってもらいたいと思っています。

時々11号室にも立ち寄ってくださいね。


No.10 初めまして

2001/12/12(水) 22:24 - B 組 弱輩 ()
35期「弱輩」と申します。どうぞよろしくお願い致します。

早速、超朗の「40歳以上に朗報」を拝読させていただきました。M.Tさんの様に期が異なるト
コロにはなかなか入れず、読み流しておりましたが、全体掲示板の「40歳以上に告ぐ」という
刺激的な見出しに触発されカキコ(書き込み)した次第です。

全体的には、我々中年と呼ばれる年代を励まして頂いている印象を受けるのですが、主観が入っ
ていないと言う割りには「うつつをぬかす」「惰性」という例が気になります。と言うのも、そ
の例にある「テレビドラマ」を創ることが生業であり、人々に幸福的に「うつつ」をぬかしても
らえれば本望であり、生き甲斐であるからです。

しかし、揚げ足をとるような論議は望んでおりません。暗い世相を反映してか、社会の中心的年
齢に達しても、ウロウロ迷う事ばかりと言うのが現状です。超朗が「週刊文春」をお読みになる
かは伺い知れませんが、竹内久美子女史の「私が、答えます」のコーナーのように、無知な我々
が遠慮なく人生の質問ができる場があるならば、教えていただきたい事が山のようにあります。
いかがでしょうか。

タイトルは「おぢーのリアリズム」(気に障ったら失礼!)はどうでしょう?




No.9 華麗に加齢しましょう!

2001/12/12(水) 19:47 - ☆ 組 後輩M.T. ()
『つくづくと、若さとは、肉体年令でないことを、具体例によって、あらためて知らされたのである...』と超朗さんを唸らせた91歳のレディーに感動しました。『もう、間に合わない』なんて思ってはいけませんね。『まだまだ間に合うぞ!』と思わなくては...。

最近、『加齢歯科』という診療科目の存在を知りました。平均寿命が上がったことによって、「咀嚼・嚥下など口腔機能の加齢変化と病気」に対応しようと、出来たのでしょう。だから、『齢(よわい)』を『歯』とも書くのでしょうか!

年齢を重ねることは、華麗なことだと思います。だから、『華齢歯科』の方がいいのでは...なんて思ってしまいました。

No.8 40歳以上に朗報

2001/12/10(月) 00:17 - 22 組 超朗 ()
犬養道子著「幸福のリアリズム」より抜粋

「上の図をとっくりと見ていただきたい(図は想像してください)。これは私のでっちあげの図ではない。世界1、2位のれっきとした大学の研究所の長年の研究結果の図なのだ。
この図は、25才(一般に記憶能力最盛といわれる年齢)のとき75点ほどの記憶力であった人々(同程度の学力、同程度の環境、及び環境のつくり出す刺激等々)を対象とし80才まで生きた場合を観察した結果である。
Aは、記憶・判断力ともに、80才に達しても、25才のときより上まわる85点。Bは正反対に、坂道をころげ落ちる車輪のごとく落ちる一方。80才のときは5点くらいになっている。25才でA・Bは対等。80才で差はなんと80点だ!
その差の秘密はただひとつ。A群は、家庭にあろうと職を持とうと病床にあろうと、思考訓練をしつづけた人々である。もっと言うと、40才から55才という、けじめの年令期に、かって中学や高校で勉強したときと同じ程度に、集中的(ミニマム丸1年、最良は3年)に、意識して頭をうんと使い、時に痛めつけるほどのトレーニングをした人。その後もやりつづけたひと。・・・自分のとくいばかりでない多方面の訓練ー幾何問題を洗濯の間にやってみる、代数問題を掃除しながら考える、読み流さずに新聞の論説を自分の言葉に置きかえてみる、全く知らなかった外国語の単語を1日にいくつときめて、電車に乗る間に暗記してみる等々ー勉強を自ら「強いる」ことで、脳味噌を新しく練りなおした人々。
ひとつ、専門をきめて、テレビドラマにうつつをぬかすかわりに、「これをやらぬと試験に落ちる」と仮定して独学勉強した人。Bはそんなことをてんでやらなかった人々。
私がA.B図を見たのは、今から10年前、アメリカの大学の研究室に、勉強をやりなおしに行ったときだが、その年の大学ゼミナール(ちゃんと単位をとる)には、91才の女性が入学して来ていた。「21世紀の都市構造における空間の問題」の論文を書いていた。この彼女の記憶力は、同クラスの20才21才の青年男女に負けるどころか、「ノートは頭の中にじかに書きます」などと言っていた。
そのとき、私はつくづくと、若さとは、肉体年令でないことを、具体例によって、あらためて知らされたのである。・・・・
Aには、挑む力、生命の力、伸びる力がある。それは、当然のこととして、すべてのトレーニングにつきものの、苦しみや辛さを、よろこんで受けて伸びて行く明るさを示す。
BはAにひきかえ、惰性である。「どうせ40だ、どうせ、50だ、ああ」といったため息の聞こえて来るのがB図だ。
あるいは、「もう50なんだから、いまさら辛い思いや苦しい勉強は御免だ。好きなことをさせてもらいましょ」といったふうの、だらしない惰性である。・・・・
使って手入れをすればするほど、モトは少々安手に出来ていても、「けっこう」になる、のである。そして、手入れ中の手入れを、なすべき時期は、青年時代と50才前後なのである。まさに、けじめの年である。・・・・・」

*この本の初版は21年前です。ある大学とは、ハーバード大学と思われますー犬養さんはここに留学した。
*グラフを見るともっとショッキングです。AとBでは天国と地獄位の差があります。
*でも安心して下さい。私が見るところ、shuri.netの皆さんは、A群に属します。

No.7 親父の息子の親父に期待

2001/12/06(木) 23:19 - 22 組 超朗 ()
親父の息子さん、ご来室有難うございます。
11期室の室長をつとめる超朗と申します。
貴方が当室を訪れた二人めのお客さんです。
11月23日に単身入居した時は、当分は独居老人になるものと覚悟していたが、
入居早々にM.Tさんが訪ねてくれました。養秀同窓会員の暖かい気遣いに感激しましたね。
大変後輩の親父の息子さんまで来てくれるなんて、大変うれしいです。
次は親父の息子の親父さんも連れて来てほしいんですけど。きっと話がはずむと思いますよ。
もしキーボードになれてなければ(間違っていたらごめんなさい)、手書きしてもらってから
親父の息子がインプットしてあげれば徐々に興味がわいてくると思いますよ。
では息子の親父の、あ、ごめんまちがい、親父の息子の親父さんへよろしくお伝えください。



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