小生、昭和19年(1944年)県立一中入学、戦後首里高校第4期卒の老人ですが、つまり、最後の一中生として、一中と首里高校の長い伝統を絶やさないために、中継ぎ役として、いろいろ腐心している世代の者です。1945年、米軍上陸直前の3月に一中に在学していた者の生き残りで結成されたグループが「二〇会」で、上記の趣旨で、伝統の維持に努力している「艦砲の食べ残し」です。毎年六月二三日には、散華した同級生たちの慰霊祭に参列するOBたちも年々減り、首里高卒の若い世代が目立つようになりましたが、養秀同窓会としては、この慰霊祭は最も重要な年中行事として、企画されており、同窓生の結集を図るイベントして、取り組んでいます。その外、在学生のクラブ活動への支援、奨学制度による支援、など、重要課題を抱えて、役員の皆さん、理事、評議員、が頑張っていますが、これらの取り組みが、同窓生の皆さんに周知徹底されてないらしく、「同窓会って、なんだ」「一中健児の塔ってなんだ」「同窓会って、日頃なにをしているんだ」などと、「凧の糸の切れた状態」の無頓着世代が増えているという指摘が多く、一中世代の小生たちは、心を痛めているのです。去年、小生は、無慮一万人以上はいるはずの首里高校卒の同窓生のうち、たった8%しか、同窓会年会費(¥1000)を払ってない、ということを聞いて、この同窓生掲示板に「全世代縦断の旅」を2回続けて、会費納入をアピールしましたが、その後、会費納入の件はどうなったか、・・・。願わくば同窓会発行の広報誌に逐次報告してほしいと思います。中には、「知りませんでした、これからは完納します」と連絡してきたクラスもあり、「なにをしているかわからん同窓会には、一銭も払いたくない」などと、背を向けるグループもあり、考え込んでしまう。