沖縄県立首里高等学校:49期 掲示板

No.282 大震災について・2

2011/07/07(木) 17:03 - 3-8 組 M ()
 福島第1原発の状況は依然として事態収拾の見込みが立たず、事故の深刻さが改めて浮き彫りにされつつあります。今回は原発事故に関する本を取り上げます。

×月×日
 昨年の8月に出版された本だが、期せずして予言の書になってしまった観があるのが、広瀬隆
『原子炉時限爆弾――大地震におびえる日本列島』(ダイヤモンド社)である。
 原発をテーマにペンを取るのは十数年ぶりということだが、広瀬隆といえば、『ジョン・ウェインは
なぜ死んだか』、『東京に原発を!』などの著作をつうじて反原発の論客として知られる人物。近年
は、『赤い楯』、『私物国家』など、国際政治や世界経済の裏で暗躍する闇の勢力に関する一連の
著作を発表している。
 私はこの人には好感を抱いていないが、この本から教えられるところは少なくなかった。広瀬が
過去に発表してきた原発本も何冊か読んでみたが、それで分かったことは、広瀬が大地震や津波
によって原発が破壊される危険性(「原発震災」と呼ばれる)に繰り返し警鐘を鳴らしていた、という
ことである。福島で起きた事態は決して「想定外」のものではなかったのだ。
 この本で危険性が切迫していると名指しされているのが、中部電力・浜岡原子力発電所(静岡県
御前崎市)である。周知のとおり、菅首相からの要請を受けた中部電力は浜岡原発の運転停止を
決定したばかりである。
 反原発論者の間では、浜岡原発の危険性はかなり前から指摘されていたらしいが、たしかにこ
の本を読んでみると、よくもこんな危険な土地に原発を建造したものだと背筋が寒くなってくる。
 最近、菅首相の浜岡原発の運転停止要請が批判されている(法的な根拠がないなど)が、この
本を読めば、ある種の超法規的措置を講じる形になっても、浜岡原発を停止させたことは正しかっ
たと思えるはずである(なお、誤解がないように言い添えておくと、私は浜岡原発の運転停止は支
持するが、全ての原発を即時停止せよという意見には反対である)。
 浜岡原発が立地する御前崎は、ユーラシアプレートの下にフィリピン海プレートが沈み込み、さ
らにそのフィリピン海プレートの下に太平洋プレートが沈み込むという複雑な地下構造になってい
る。直下型の大地震の発生が懸念される地震の巣なのである。広瀬に言わせると、「このように三
重の重なりがある危険地域は、世界中でここしかない」という。
 どうしてそんな危険な場所に原発が建設されたのだろうか。
 その理由のひとつとして、日本で原発建設が本格的に始動しはじめた時期というのが、地震に
関してほとんど何も分かっていない時代(地震科学の基礎理論であるプレートテクトニクス理論が
まだ確立されていなかった)だったことを広瀬は指摘している。
 アルフレート・ヴェーゲナーが提唱した大陸移動説が、より精緻なプレートテクトニクス理論として
まとめられたのが1968年のことだが、その翌年の1969年に浜岡原発1号機の建設が決定され
ている(ちなみに福島第1原発1号機の原子炉設置許可が下りたのは、さらにさかのぼって1966
年)。当然のことながら、この時期に建設が始まった原発の設計・建設にあたっては、プレートテク
トニクス理論に基づく知見は用いられていない。
 広瀬によると、1964年に策定された原子炉立地審査指針(原発の建設地点を決定する際の原
則を定めたもの)には、「地震が多発する場所に原発を建設してはならない」という定めがそもそも
なかったという。驚くべきことだが、日本の初期の原発は事実上、地震災害のリスクを考慮せずに
建設されてきたといえる。
 その後、原発施設の耐震強度が1978年に定められる(浜岡原発はその2年前からすでに運転
を開始)が、それ以降、電力各社は、原発はもともと頑丈に造られているので、既存の原発も耐震
強度をクリアしていると説明してきた。しかし、初期の建設基準の甘さとその後の原発の老朽化を
考え合わせると、この説明はとうてい信用できないと広瀬は言う。
 浜岡原発の運転停止要請という踏み込んだ決断をした菅首相も、そのほかの原発については、
安全性に問題はないという逃げの姿勢である。政府は国内の全原発について安全性の徹底的な
再検証を行うべきだ。

×月×日
 今回の事故による放射能汚染について知りたいと思って手に取ってみたのが、武田邦彦『原発
事故 残留汚染の危険性』(朝日新聞出版)である。
 タイトルからてっきり残留放射能による危険性が検証されていると思ったのだが、実際に読んで
みると、この本の記述のほとんどは、地震と津波によって原発がなぜ破壊されたのかという分析に
割かれていて、放射能汚染の危険性についての記述量は全体の4分の1程度である。タイトルと中
身がかみ合っていない欠陥本だが、それでも興味深いことがいくつか書かれている。
 民間会社のウラン濃縮研究所で所長を務めたことがある著者は、原子力行政の実態をうかがわ
せるような体験をしている。
 ある時、著者は、施設内のある配管に問題があることに気がつく。もしも事故が起きると、その配
管を通じてウランが海に流れ出てしまう危険性があったというから、見過ごしにはできない問題で
ある。著者はさっそく科学技術庁の担当部署に連絡を入れ、「自分の設計のミスだから始末書か何
かを書きますから配管を取り外したい」と申し入れたという。 
 ところが、科学技術庁からは配管を取り外す許可が出なかった。国が審査・認可した研究施設に
設計段階で問題があったとなれば、国の審査も間違っていたこととなり、監督官庁の責任問題にな
る。それを嫌った科技庁の担当者はとうとう許可を出さなかったという。
 しかし、安全性に問題があるという事実は動かしようがないので、著者はその配管を取り外した。
後日、科技庁の担当者から、「武田さん。あれは、武田さんが勝手に外せということにしたといって
いるんですよ」と耳打ちされたという。原子力施設の安全性を高めることよりも、官僚たちの責任回
避が優先されたのである。
 このような体験をすれば当然のことだが、著者は原子力行政に根深い不信感を抱いていて、今
回の事故の責任も、東京電力ではなく原子力安全・保安院と原子力安全委員会にあるという。著者
によると、国が定めた耐震指針のせいで日本の原発はもともと地震で壊れるようにできていたから
だ。それはどういうことか。
 原発の耐震指針は、あらかじめ想定された地震の揺れに耐えられるようにすることを定めている
が、現実には、想定震度を上回る地震に見舞われることは大いに考えられる。ところが、現在の耐
震指針では、想定震度を上回る地震に遭遇する可能性について真剣に考慮せず、「残余のリス
ク」として放置していると著者は言う。
 残余のリスクとは、原発建設前に電力会社が収集したデータからは予測することができないリス
ク(積み残しにされたリスク)のことである。ひらたくいえば「想定外のリスク」ということだ。
 著者に言わせると、残余のリスクという概念が耐震指針の中に持ち込まれたことで、「『想定内』
の地震や津波だけを考えればよく、『想定外』の場合は原発が破壊してもよい」ことになってしまっ
たという。そして、こんなおかしな概念が持ち込まれたのは、「何が起こっても実施側の責任になら
ないという抜け道をつくるため」だったのだろうと推測している。
 現行の耐震指針が策定された際、原子力安全委員会の専門委員だった著者は、「この耐震指針
では、原発が地震で破壊されることになるので、付近住民に逃げるためのオートバイと甲状腺を守
るヨウ素剤を配ったらどうか」と発言したそうだが、反応はなかったという。
 著者の意見に全て賛同する訳ではないが、この本を読んでいると、原子力開発に携わった技術
者の視点からは問題がどのように見えるのかが分かって、面白いといえば面白い。

×月×日
 東京電力も、原子力安全委員会も、原子力安全・保安院も、政府首脳も、いまだに福島第1原発
を襲った事態は想定外のものだったと言いつのっている。
 しかし、朝日新聞取材班『「震度6強」が原発を襲った』(朝日新聞社)を読めば、そんな言い訳が
通用しないことは一目瞭然である。
 覚えている人も多いだろうが、2007年7月に起きた新潟県中越沖地震では、東京電力・柏崎刈
羽原発が強烈な震動に襲われた。原子炉は緊急停止したが、施設内で発生した火災の鎮火が遅
れに遅れたことや、放射能を帯びた冷却水が海に流出するなど、原発の防災体制がまるで役に立
たないものであることが明らかになった。
 この本は、その柏崎刈羽原発の事故によって崩壊した原発安全神話を緊急検証(地震発生から
3ヶ月後に出版)したものだが、読めば読むほど腹が立ってくる。あの時の経験からちゃんと学んで
いれば、今日の事態は避けられたはずだからだ。
 柏崎刈羽原発では、建設前の地質調査で建設予定地の直下に活断層はないと判定されていた
が、実際には、原発の直下に断層が走っていた。中越沖地震ではその活断層がズレたことで、活
断層はないという前提で計算されていた想定震度をはるかに上回る、強烈な激震に原発が直撃さ
れることになった。
 なぜ原発の真下に活断層が走っていることが分からなかったのか。もともと活断層は発見しにく
いものであることに加えて、電力会社による調査方法が不適切だったからだ。
 活断層を発見するための調査方法としては、「活断層がずれ動いた影響で川や谷、尾根が不自
然にずれたり、地形がたわんだりしたと見られる場所を航空写真から探し出す」変動地形学という
手法がすでに確立されている(それでも確実に発見できる訳ではない)のだが、これまで電力会社
が行ってきた原発周辺の地質調査では、変動地形学に基づく手法は用いられてこなかった。電力
会社や保安院は、変動地形学の手法を用いなくても、活断層の有無は確認できると考えていたか
らだ。
 ところが近年、変動地形学の手法で再調査した結果、存在しないと判定されていた活断層が次
々と発見されていたのである。
 地震発生後のことだが、柏崎刈羽原発でも、周辺海域のデータを変動地形学の手法で分析した
ところ、当初、東京電力がごく短い断層だと判定していたものが、実は巨大な活断層の一部分だっ
たことなどが明らかになった。再調査に携わった研究者は、「当時なぜこれほど断層が過小評価さ
れ、国もそれを認めたのか疑問だ。新たな調査も必要だが、その前に当時のデータをすべて公開
し、なぜ短いと評価したのかについて説明責任を果たすべきだ」と、憤りを隠さない。
 同じく変動地形学の手法を用いて、島根原発(中国電力)の近辺に活断層が存在することを確認
した別の研究者は、あきれ顔でこうコメントしている。「私たち活断層研究者の多くは、原子力の世
界でそんな科学的とは言えない方法で活断層を調べていることを最近まで知らなかった」
 電力会社や政府が声高に唱えてきた原発の安全性とは、専門家から「科学的とは言えない方
法」と酷評されるほどいい加減な調査に基づくものだったのである。
 この本では、原発の耐震指針改定の経緯も詳しくレポートされている。耐震指針には当局の責
任逃れの意味しかないという武田邦彦の批判をすでに紹介したが、この本の第3章(「揺れる耐震
指針」)を読めば、そんな単純な話ではないことが分かる。
 原発の耐震指針が改定されることになったきっかけは阪神大震災だった。断層地震の予測の難
しさと、それまでの耐震強度では不十分であることが、阪神大震災で明らかになったからだ。
 指針改定の狙いは、それまでの硬直的な耐震指針のあり方を改めて、予測が困難な断層地震
のリスク(=残余のリスク)を含めた形で原発の安全基準を考え直すというもので、科学的にもちゃ
んとした妥当性がある(武田は「残余のリスク」という言葉のあいまいさに不信感を抱いたようだが、
地震の専門家ではなかったことからくる誤解があったのかもしれない)。
 その後、耐震指針の改定から1年も経たないうちに柏崎刈羽原発が激震に襲われたことで、旧
指針の破綻は誰の目にも明らかになった。
 日本の原発安全神話は今回の事故が起きる何年も前にすでに崩壊していたのである。
 この本によると、中越沖地震の数日後、英国紙タイムズは、「ツナミ、カミカゼ、ヒロシマ。日本は
世界に数々の『死の言葉』を提示してきたが、今また恐怖の言葉を加えようとしている。ゲンパツ・
シンサイだ」と前置きした上で、日本国内でもっとも危険な原発として、「ハマオカ」を名指しした記事
を掲載したという。
 海外の目には、柏崎での経験がありながら福島原発での事故を回避することができず、福島で
メルトダウン事故を起こした後になってようやく浜岡原発を停めた日本という国は、よほど学習能力
に欠けた国だと映っているに違いない。

No.281 うちなーんちゅの皆様に愛される番組にしたいです

2011/06/01(水) 19:09 - 2 組 名城奈々 ()
49期生の名城奈々です。


只今、nacilという名前で、東京を中心に音楽活動をしております。


この度、東京のFM世田谷で冠番組をもつことになりました。


日本初沖縄専門番組という事で、うちなーんちゅの私と、元ホームチームの与座よしあきで、ゆんたくしながら、沖縄を発信していいきたいです!


たくさんのうちなーんちゅの皆様、沖縄好きの皆様に聴いて頂き、

沖縄の情報や、リクエスト、聴いて頂いた感想など、頂けたら、有難いです。


FM世田谷で、6月2日から
毎週木曜日22時〜23時

『ナシルの島んちゅヂカラ』

世田谷区の皆様→FM83.4MHzへ。


エリア外の皆様→PCからは、http://shimazika.nacil.net


スマートフォンからは http://bit.ly/fmsetagayaへアクセス!

ツイッターは@shimazika


nacilのホームページは、
http://nacil.net


今後とも宜しくお願いします。

No.280 久しぶりの掲示板

2011/05/25(水) 13:51 - 3-5 組 宮城 親一 ()
ご無沙汰しております。 
3-5でバスケ部してました親一です。

2月の田場のこともありつつ、掲示板を見るようになりました。
今回の震災で被災とまでいかずとも皆の生活に影を落としたことが伺われ。
皆の健康と安全を心から祈ります。


ひかりー、元気か? 旦那と仲良くしてるか?
あんま沖縄に帰らんから疎遠になっちゃってるが、
マリオやらぶーしーやら、みんな元気よ。 仲良くしてる。

たまに帰るときくらい捕まえられるように
誰かに連絡して連絡先ぐらいおさえといてくれ。



久高ー、3月はありがとう。 マラソン前日につきあってくれてうれしかったです。
今日 ちょうどマサキと飲むから香典返し渡しながら近況報告してくるわ。

15年ぶりぐらいに会うので
可愛くて若いと噂の嫁さんのことなんかチェックし甲斐があります。



先の3月に会いたかったバスケ部のメンツはみな元気しているか?
皆の活躍に期待しつつ、健康と平和を祈ります。

田場の冥福とご家族の方の癒しと健康を祈り、
震災でお亡くなりになられた方々の冥福と一日も早い復興を願い。 献杯。

No.279 大震災について・1

2011/05/06(金) 10:31 - 3-8 組 M ()
 東日本大震災から間もなく2ヶ月が経過しますが、いまだに津波による被害の凄まじさには言う
べき言葉もないというのが正直なところです。唯一胸をなで下ろすことができるのは、49期生の中
で深刻な被害を被った人はどうやらいないらしいということだけです。

×月×日
 地震発生当日、宮城や岩手の沿岸に押し寄せる津波の映像をテレビで見て、とっさに2004年
のスマトラ沖地震の時の津波映像と勘違いした、という人が少なくない。
 広瀬公巳『海神襲来』(草思社)は、そのスマトラ沖地震によって発生したインド洋大津波の被災
者・生存者たちの証言を丹念に取材したドキュメントである。
 この本でまず驚かされたのは、あの大津波をもたらしたスマトラ沖地震の規模がケタ違いに巨大
なものだったということだ。
「[地震波は]秒速約4キロで地球を少なくとも5周した。USGS[米地質調査所]のケン・ハドナット
博士は、スケートでスピンをする選手が腕組みをして体を小さくすると速く回転ができるのと同じ原
理で、地震によって地球の自転が速くなり、1日の長さが100万分の3程度短くなったと指摘した。
それによると地軸の位置も2センチずれた」
「揺れは1日では終わらなかった。ANU・オーストラリア国立大学は、地震の発生から2週間後に、
1ミリ程度の地球の縦揺れが続いているという研究結果を発表した。地球全体が鐘を突いたときの
ように2週間にもわたって振動を続けていたのである」
 地震の影響が地球全体に及んでいたと知って、しばし茫然とさせられた。津波による被害ばかり
が印象に残っていたが、地震の規模も想像を絶するようなものだったのである。
 さらに驚かされたのは、あの大津波も地球規模の影響をもたらしていたという事実だ。
「タイ・チュラロンコン大学などの研究グループは、海面の上下動で生じた空気の波で、電離層に大
きな電流が生じ、地球を取り巻く地磁気も振動したという研究結果を発表している。電離層の磁界
の中に空気の波が伝わることで1万アンペアの大電流が周期的に生じたという」
 いまさらながら、地震と津波のスケールの大きさに圧倒される思いがする。
 この本で教えられたことはほかにもある。
 「海嘯(かいしょう)」という言葉がある。
 “海がうそぶく”と書いて津波を意味している。
 前々から奇妙な字面(じづら)の言葉だと思っていたが、この本でその意味が初めて分かった。
津波が押し寄せてくる時、まるで海全体がうそぶいているかのような異様な響きが轟くのだという。
海嘯とはその鳴動のことだったのだ。
 海上で津波に遭遇したインドネシアの漁師たちによると、その響きは、「ワーという音」、「ヘリコプ
ターのような大きな音」、「ブルルルと地面を掘る機械のような音」だったという。表現はまちまちだ
が不気味な響きだったことは伝わってくる。三陸で濁流に呑み込まれた人々も、最後の瞬間にこう
した響きを聞いたのだろうか。そんなことを考えていると肌に粟が生じる思いがした。
 この本で印象に強く残ったのが、津波が海岸に押し寄せる瞬間を上空からとらえた衛星写真(こ
の本に掲載されている)にまつわる話である。
 津波で壊滅的被害を出したインドネシアのバンダアチェで取材中だった著者は、人々が一枚の
衛星写真を争うように買い求めているところにでくわす。不思議に思って理由を尋ねてみると、渦を
巻く津波の白波があるアラビア文字を形作っているのだという。
 それはアラビア文字で表記された「アラー」の文字だった。
 もちろん錯覚である。その写真も実はインドネシアではなく、スリランカの西海岸を撮影したもの
だったそうだが、著者は、「津波の計り知れない大きさは神の存在をより偉大なものにしていた」と
記す。人々がその写真から感じ取ったのは神の怒りだったのだろうか、それとも慈悲だろうか。
 なお余談ではあるが、22万の人間が落命するという未曾有の災害だったにもかかわらず、イン
ド洋大津波に関するドキュメントは日本ではほとんど出版されておらず、本書がほとんど唯一のも
のといってよい。日本のジャーナリズムの怠慢ではないかという気がする。 

×月×日
 吉村昭『三陸海岸大津波』(中公文庫)[現在は文春文庫]は、明治29年、昭和8年、昭和30年
(チリ地震津波)と三度の津波災害に見舞われた三陸沿岸の被災史をまとめたものである。200ペ
ージほどの小編というべき作品だが、ページを繰っているうちに、この本に記されている過去の被
災の描写とテレビ画面越しに目にする現在の被災地の光景とが混然となり、既視感(デジャビュ
ー)ともつかぬ奇妙な感覚に襲われた。
この本で惨状が描かれている地名をなぞっていくと、田老村、大槌町、山田町、釜石町…と、い
まとなっては見慣れた地名ばかりである。三陸沿岸が、津波に襲われる度に甚大な犠牲を出しな
がらも復興を繰り返してきた地であることを改めて教えられる。
 この本には、津波で被災した人々の姿が淡々とした筆致で書き留められていて、さながら一場の
群像劇のおもむきがある。印象に残ったものを思い出すままに記す。
 津波の襲来から数日後、ある部落では、家屋の再建のために住民が樹木を切り倒した音が、津
波が押し寄せてきた時の轟音と似ていたことから、津波の再来と勘違いした人々がパニックになっ
た。津波が人々に植えつけた恐怖心は尋常なものではなく、人々が我先に裏山へと殺到したため
に、8歳の男児が圧死したという。転倒して踏みつぶされてしまったのである。
 この時、避難誘導にあたるべき巡査が人を押しのけて一目散に逃げたことが、職務放棄として非
難されたというが、このように醜態をさらす者がいる一方で、宮城県の海岸縁にあった刑務所では、
5人の囚人たちが溺れかけている人々の救助に尽力したという。195人いた囚人のうち生存者は
31人だけだったというから、彼らも九死に一生を得た被災者だった。
 被災直後は警察力も失われ、無法地帯と化した被災地では盗難騒ぎが続出したという。やむに
やまれぬ面もあっただろうが、「窃取を専門にした者も各部落に2、3名はいて、被災後それらの金
銭物品で富裕になる者すらいた」という一文には、やはり言葉を失う。
今回の震災では、三陸地方の各地で伝えられてきた津波にまつわる伝承が多くの人たちの命を
救ったと言われているが、そうした言い伝えが逆に仇となる場合もあった。
 昭和8年の津波の時には、明治29年の津波に遭遇したことのある老人たちから「天候は晴れて
いるし、冬だから津波はこない」と聞かされて、多くの人が胸をなで下ろしていたところを津波に襲
われてしまったという。どうしてそのような誤解が広まったのかはよく分からないが、三陸地方では、
冬と晴天の日には津波は起きないという言い伝えがあり、それが多くの人命を奪うことになってし
まったという。経験を正しく語り継いでいくことの難しさを思い知らされる話である。
 津波による犠牲者に関する記述には、読んでいて絶句させられるものが少なくない。
 明治29年の津波襲来後、生き残った住民と応援に駆けつけた人夫たちは、犠牲者の死体収容
に努めたが、死体の多くが土砂の中に埋もれていたために収容は困難を極めた。
 むやみに掘り起こしても死体は見つからない場合が多かったが、「そのうちに経験もつみ重ねら
れて、死体の埋もれている個所を的確に探し出せるようになった」という。「死体からは、脂肪分が
にじみ出ているので、それに着目した人夫たちは地上に一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油の
湧く個所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになったのだ」という。
 この稿を起こしている最中、被災地では、自衛隊と米軍による集中的な遺体収容作業が行われ
ていた。そのニュース映像を見ながらこの一文を思い出し、慄然とさせられた。
 牧野アイという少女は、昭和8年の津波によって、同居していた家族全員(祖父母、父母、叔母、
二人の妹、弟)を失った。この少女(被災当時、尋常小学校6年生だった)が被災後に書いた作文
を読んだ著者は、本人と面談している。少女のそれからを著者はこう書いている。

  津波によってすべてを失ったアイさんの生家は、破産した。そして孤児となったアイさんは、 
 (略)親戚の家を転々とした。アイさんは成人し、19歳の年には再び田老にもどり翌年教員の荒
 谷功二氏と結婚した。御主人の荒谷氏も、津波で両親、姉、兄を失った悲劇的な過去をもつ人で
 あった。
  荒谷氏とアイさんの胸には、津波の恐ろしさが焼きついてはなれない。現在でも地震があると、
 荒谷氏夫妻は、顔色を変えて子供を背負い山へと逃げる。豪雨であろうと雪の深夜であろうとも、
 夫妻は山道を必死になって駈けのぼる。
 「子供さんはいやがるでしょう?」
  と私が言うと、
 「いえ、それが普通のことになっていますから一緒に逃げます」
  という答えがもどってきた。
  荒谷氏夫妻にとって津波は決して過去だけのものではないのだ。

 この本が出版されたのは昭和45年で、取材当時、荒谷アイさんは49歳だと書かれている。存
命であれば90歳前後だろう。荒谷さん夫婦とその子供(といってもとうに成人に達しているはず)は
無事だっただろうか、と気になった。

×月×日
 クリス・インピー『すべてはどのように終わるのか――あなたの死から宇宙の最後まで』(早川書
房)は出版直後から気になっていた本だが、週刊文春の大震災特集記事で立花隆がこの本を挙げ
ていたので、さっそく手に取ってみた。
 サブタイトルからもうかがえるように、この本は、人間の生物学的な死から宇宙の物理的な死ま
で、およそあらゆるものの終焉がどのようなものであるかを書いたものである。
 いざ読み始めてみるとはじめは散漫な印象を受けたが、後半に入って、地球の終焉、太陽の終
焉、そして銀河の終焉、さらには宇宙の終焉と、対象のスケールが大きくなっていくにつれて、だん
だんと面白くなってくる。著者が元アメリカ天文学会副会長ということもあって、天文学の領域にな
るとがぜん筆が冴えてくるということもあるが、それだけではない。天文学レベルでの事象のスケー
ルの大きさがあまりにも途方もないために圧倒されてしまうのである。
 そうした事象の中で、ひょっとすると人類滅亡につながるかもしれない(この本はそういう現象の
オンパレードだが)のが、超新星爆発にともなうガンマ線バーストである。
 恒星が死ぬといわゆる超新星爆発が起きてブラックホールが誕生するが、その超新星がとりわ
け質量が大きくて高温である場合、ガンマ線の爆風(ガンマ線バースト)が生じるという。
 その爆風は凄まじいもので、「回転が高速である場合、ブラックホールの回転軸に沿って放射線
と高温ガスが噴出し、死にゆく星の表層をもぎとり、対になった宇宙ジェットを光速の99.995パー
セントの速さで宇宙空間に送り出す」という。
 こうした超新星爆発が地球から1000光年の距離で発生し、しかも発射されたビームが運悪く地
球に向かって飛んできたらどうなるのか。著者は「まずはシートベルトを締めること」と書き添えてい
るが、どうやらシートベルト程度では間に合いそうもない。
「[超新星爆発の]火の玉は空の太陽と同じくらい明るく輝くだろう。その一瞬後、大量の高エネル
ギーの放射線が大気に衝突し、大気が燃えあがる。森は焼け落ち、湖や川は沸騰して乾ききり、地
球のそちら側半分は、爆風に襲われて生命が一掃される。衝突の衝撃波により地球全域に1キロ
メートル以上の高さの炎が走るが、地球の裏側では、ひょっとすると海洋の生物の命ならいくらか
は助かるかもしれない。さらに、強烈なガンマ線と紫外線が地球全体のオゾン層を破壊するだろう。
この猛攻撃に耐えられるものがあるとは考えにくい」
 著者によれば、これほどの破滅的な影響をもたらすようなガンマ線バーストが、地球の方向に向
かって起きる確率は20億年に1回くらいしかないというが、それでは枕を高くして寝られるのかと思
いきや、そうそうタカをくくってもいられないらしい。
 地球から8000光年の距離にあるWR104という恒星は、その回転軸がまっすぐ地球を向いて
いるという。この恒星がガンマ線バーストを引き起こすほどの超新星爆発を起こせば、どのような影
響が地球に及ぶのか、まだよく分かっていないらしい。WR104がもたらすかもしれない脅威を指
摘した天文学者の言葉を借りれば、「ライフルの銃口を覗き込むような、ぞっとする感覚をおぼえず
にはいられ」ない話である。
 東日本大震災の烈震、そして瞬く間に地上にあるものを根こそぎにした津波の破壊力の凄まじ
さには、凝然とさせられるばかりだったが、この本を読んでいると、自然の猛威というのはもっとも
っと凄まじいものなのだということが分かる。
 人間という存在の何とちっぽけなことよ、と思わず天を仰ぎたくなる。

No.278 流れ

2011/04/26(火) 00:43 - ひかり ()
同期のみなさん、卒業生のみなさん。震災でなにもなくお元気様でしょうか?

わたしが、20歳の時だったと想いますが、阪神淡路の震災がありました。
日にちは忘れもしない。センター試験の最終の日の夜でした。

いろんなことがおきている今。
今しかできない、大切なことをしておかなくてはと切ないぐらいに感じます。

ご縁のあった人が、交通事故にあってしまったり、長年抱いていた夢を現実のものにしてTVに出ていたり。

無力なわたしに出来ることが、あるのか。とても悲しくなりますが。
今できることを、いまやれることを精一杯する。

あたしが、被災者なら、きっとそう想うはず。

関わった人々が無事でありますように。

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