2010/12/17(金) 09:21 - 3-8 組 M (男)
×月×日
赤坂憲雄『岡本太郎が見た日本』(岩波書店)を読み始めてみると、これが意外に面白い。
私達の世代の人間は、ある意味では岡本太郎という人物と不幸な出会いをしている。岡本太郎と聞いて思い浮かぶのは、テレビCMでピアノを乱打しながら目を剥いて「芸術は爆発だ!」と絶叫する姿だろう。この本を読むまでは、私も岡本のことをケッタイなオジサンぐらいに思っていた。岡本が矯激なパフォーマーだったことも事実だが、この本を読めば、それは岡本という人物のごく一部分に過ぎなかったことがよく分かる。
岡本一平・かの子夫妻の息子だということぐらいは知っていたが、岡本が、1929年から40年までフランス・パリで遊学していたこと、その時代に当代のヨーロッパの芸術家達(ピカソ)だけでなく、フランス思想界(G・バタイユ、A・ブルトン、A・コジェーブ)、民族学界(M・モース)の大立者達と交友関係、師弟関係を結んでいたことは、この本で初めて教えられた。この本で言及されている人々の名前を一瞥しただけでも分かるように、岡本はただならぬ知的バックグラウンドの持ち主だったのだ。
この本では、独特の文体で書かれた岡本の文章があちこちで引用されている。それらの文章を読む時、岡本が民族学的な素養の持ち主であることを知っていて読むのと、知らないで読むのとでは、やはり印象がまるで違ってくる。岡本のことを「身をやつした民族学者」と評する赤坂は、「マルセル・モースに学んだ民族学者は、もうすこし虚勢を張って、いや素顔をさらして、その知性と教養をひけらかすべきであったかもしれない。太郎はあまりに控えめにすぎたのではなかったか」と嘆く。赤坂が嘆きたくなる気持ちは分かるが、ひょっとすると私達は、素顔を隠した岡本太郎にまんまと担がれていたのかもしれない。そんな気もしてくる。
赤坂憲雄には『岡本太郎という思想』(講談社)という近著もある。こちらはさらに思索家としての岡本に焦点を当てたもので併読すると面白い。この二冊を読んで、以前から気になっていた岡本の著書『忘れられた日本―沖縄文化論』を是非読んでみよう、という思いに駆られた。
なお、岡本が留学していた当時のフランス思想界の雰囲気を知るには、桜井哲夫が書いた『占領下パリの思想家たち』、『戦間期の思想家たち』、『戦争の世紀』(いずれも平凡社新書)がちょうどよい。
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三島由紀夫が自決してから四十年ということで、三島の関連本が書店の店頭に並んでいる。だが、手に取ってみたくなるようなものはほとんどない。
数年前に出版されたものだが、杉山隆男『「兵士」になれなかった三島由紀夫』(小学館)は、類書にはない視点から三島由起夫を描いた出色のドキュメントになっている。
杉山は、二十年近く「兵士シリーズ」として知られる自衛隊ルポを書き続けてきたノンフィクション作家。その杉山がシリーズの最終巻のテーマに選んだのが、「三島由紀夫と自衛隊」だった。
三島が自衛隊の駐屯地で割腹自決するという衝撃的な事件の後、自衛隊サイドでは三島について言及することがタブーとなってしまい、三島と自衛隊の関わりについては、一種のミッシングリングになっていた。この本では、丹念な取材によって自衛隊員達の目に映った三島の姿が浮き彫りにされていく。三島が同志と恃んでいたとおぼしき士官が、「いまの世の中、明治維新なんて流行らないですよ。とてもじゃないけど、みんな利口になっちゃってますからね。そんなこと、やめた方がいいですよ」と言い放ち、三島と喧嘩別れになったエピソードなど、印象に残る逸話がたくさんあるが、この本で面白いのは自衛官達が口々に語る三島評だ。
「この人はすごい作家だけど、弱さがあるな」「弱さというより、脆さかもしれません」(一緒に訓練を受けた元レンジャー訓練生)
「先生は自分が弱かったから、強い人間に憧れて、強い人間になりたいということで、鍛え上げたんでしょう」「あの方はずっと自分の美学に生きたという感じです。いまになってみたら、美しく死ぬための下地をつくったのかなということですかね」(レンジャー訓練の元教官)
「三島さんは、やっぱり自衛官の若手幹部が、私やBのような、にせインテリだということで、もうがっかりしたわけですよ。僕はそう見ているんですけどね」「三島由紀夫について言えば、私はもう途中で、とてもじゃないけど、こんなおじさんにはついてゆけないと思ってお別れしました。三島さんも、勘の鋭い人ですから、私みたいな、ぐうたらのことはあきらめて、さっさと行ったんじゃないかと思うんです」(元富士学校戦車教導隊中隊長代理。後に陸上幕僚長)
年齢や自衛隊での階級、社会的出自によって、自衛官達の三島との距離感も様々だったことが分かる。
三島事件後、旧軍出身のある幹部自衛官はこう言い残して自衛隊を去ったという。
「俺は戦前の軍隊の教育を受けて、仲間も大勢、戦地で死なせている。その我々が当時信じていたことを三島に言われ、言われただけじゃなく、行動までされてしまった。自衛隊って、いったい何だ。そうまで言われて、このまま流れに任せて、何もせず、ただ荏苒と自衛隊にいるというわけにはいかないんだ」
×月×日
日本の探査機「あかつき」の金星周回軌道への投入失敗は残念ではあったが、その少し前に、リチャード・コーフィールド『太陽系はここまでわかった』(文藝春秋)を読んでいたので、それほど驚くことはなかった。
この本では、恒星である太陽からはじまって、水星、金星、地球…と太陽系の惑星を順繰りに取り上げながら、それぞれの惑星について、現時点で何が分かっていて、何がまだ分かっていないのかを丁寧に解説しつつ、それと並行して、これまでの宇宙探査計画の内幕が書かれている。それを読んでいると、成功例に数えられるミッションでも、薄氷を踏むような場面の連続だったのだということが分かる。
「ミッション技術者たちは宇宙船に問題が起きたことに気づいた。マリナー10号が金星へ向かうにつれ、飛行データシステムに深刻な問題が起きはじめ、技術者たちは宇宙船の電力システムに問題が生じているのかと恐れたのだ。さらにハイゲイン・アンテナ・システムの一部が故障し、水星から送られてくる画像の質が大幅に損なわれるのではないかと思われた」
「宇宙船が太陽へ近づくにつれ表面が加熱されはじめ、設計者も驚いたのだが、宇宙船が宇宙空間に粒子を撒き散らしはじめた。このような問題はそれまで起こったことがなかったが、それ以前にこれほど恒星へ接近した宇宙船はなかったのだからそれも当然だ。マリナー10号のアルミニウム被膜から蒸発した一粒の粒子が、宇宙船の向きを正しく保つのに必要な恒星追尾装置の目の前を漂った。すると宇宙船は、天空の基準点とする恒星カノープスを追尾できなくなった。宇宙船が再びカノープスを捉えるまでに二時間近くかかり、その間に宇宙船のジャイロは貴重な軌道修正燃料を大量に無駄遣いした。恒星追尾装置の前を次から次へと粒子が漂うと、同じ問題が繰り返され、ミッション技術者たちは燃料の残量を心配した」
マリナー10号のミッションは、はじめは金星に向かって飛行し、金星の引力を利用して進路を変更(スイングバイと呼ばれる方法)した後、観測目標である水星に向かうというものだったが、その道中はこれほどのトラブル続きだったのだ。宇宙飛行というものがいかに際どいところで行われてきたかが分かる。あらゆる宇宙飛行ミッションが、続発するトラブルに臨機応変に対処し、機能停止寸前になった機材をだましだまし活用することで達成されてきたことを考えると、JAXAはこれからが腕の見せどころともいえるだろう。
こういった宇宙探査の内幕も面白いが、この本を読んでいてびっくりさせられたのは、「木星の周辺領域からは人間を数秒で死に至らしめる量の放射線が発せられている」という一文だ。人間が数秒で死んでしまう量の放射線が渦巻く空間とは、いくら想像してみようとしても想像がつかない。しばし茫然としてしまった。
この本を読むまでは、私には、太陽系の惑星について沈黙する星々というイメージがあった。それらの惑星についてあらかた調べがついているものと思っていた。しかし、それは全くの間違いなのだと気づかされた。太陽系の惑星の中には、木星のような荒ぶる星もあるし、まだまだ分からないこともたくさんある。