沖縄県立首里高等学校:35期 掲示板

No.477 気になること?

2004/12/14(火) 23:20 - umi ()
toraさん生きてますか~?那覇マラソンはどうでしたか?なぜか気になってま~す!
か・ん・そ・う・聞かせてくださいな!

No.476 わっちん に比べれば。。。

2004/12/04(土) 12:40 - tora ()
あなたは凄すぎる 韓国のロケ話も凄いがヨン様顔負けのハードスケジュールも お口あんぐりって感じです
 ほんとに同級生!?パワフルですね 近くの公民館まで車で行く典型的は沖縄 車依存症の私が
那覇マラソンに出ると決心することの100倍凄いですね 脱帽です 明日の大会はいつもより参加者が多いらしい
 オリンピックで盛り上がったのか記念大会だからか 健康志向か とにかく多いらしい 今からゼッケンを取りに
武道館まで行ってきます なんかなきそうなどきどきの前日です 死力を尽くして頑張ります

No.475 冬のソナタ‥ヨン様‥

2004/11/26(金) 23:47 - 6 組 わっちん ()
モスチーズバーガーを運転しながら食べたらどうなるか実験しようと思いドライブスルー
に入ったが急に「チリドッグ」が食べたくなったのでアイスティーと一緒に購入した。
早速食べてみたが「危険」である。携帯以上に危険だ。チリソースは垂れる、口から
はみ出る、ソーセージは向うに飛び出る。店内で両手を使っても上手く食べられないの
だから運転しながら上手に食べられるハズがない。その上、警官と遭遇しないのだから
、これで事故でも起こしたら本当のバカである。だから急遽中止した。何のことはない
服が汚れただけだ。今後いらん事にチャレンジするのは辞めようと思った。

話は変わるが、ヨン様来日の様子を見ていると本当に日本は平和な国だと思う。辺野古
のニュースは県内ニュースなのに、成田でおばさん達が「キャー」と言うと全国ニュー
スになるのだな。

1995年に韓国ソウルに行き、KBSドラマ部で「冬のソナタ」の監督ユン・ソクホ
氏と会った。今は独立しているが当時は未だKBSの職員でPDを務めていた。韓国で
日本のドラマや映画等を禁じている時期だったので合作を作る事が出来ず、韓国ドラマ
事情が良く解らなかった我々は彼にアドバイザーとして非公式に参加してもらったのだ。

現地俳優の推薦から機材屋、ロケ地の情報提供をしてもらい準備をしたのだが、時々食
事をしたりカラオケに行ったりした。ある晩、ひょんな事から通訳抜きで二人でホテル
のバーへ出かけたのだがワタシは韓国語が出来ず、彼は日本語が出来ないので英語で会
話するのだが‥どっちも英語が下手で苦労した。彼が日本の映画監督の岩井俊二氏の作
品が好きだと言うこと、日本のトレンディドラマを録画して送って欲しいと言うことが
解ったぐらいで後はたわいもないことを質問したり答えたりだったが、会話が上手く行
かないと二人で笑って誤魔化すしかないのでニコニコした二人をホテルのバーテンはホ
モだと思ったことだろう‥。

撮影は釜山港で福岡から来る水中翼船の入港シーンから始めたのだが、当時釜山港でロ
ケをする事は禁じられていたので国家安企部へ行き撮影後に検閲してもらい問題が無け
れば使用すると言う屈辱的な方法で許可をもらい撮影。その後下船してくる撮影本隊と
合流して本格的な韓国ロケをするはずが‥税関が撮影機材を一日預かると機材を押さえ
てしまったのだ。完璧なカルネを提示して「何故だ!」と食い下がるワタシを見下すよ
うな税関職員。押し問答を続けていたら、ツカツカとユンPDが来て怒鳴った。
「私はKBSのユン・ソクホPDだ!君たちは日本人だという事で機材を渡さないのか!
さっさと機材を出せ!」と怒鳴りながら高々と掲げるのはKBSの職員証だ。まるで水
戸黄門の様だ。何故か「はは~っ」てなカンジで職員達がビビリ始め、所長がすっ飛ん
で来て頭を下げ、あっという間に機材が出てくるのにはあきれたし、感動した。

今では韓国の文化開放政策によって、こんなマヌケな事はないだろうし、ましてや冬の
ソナタのヒットによってロケもし易くなってるだろう。

今回ペ・ヨンジュン氏のファンが怪我をする事故が起こったが、徹夜組のファンに応え
ようと姿を見せた彼に責任は無い。むしろ姿を見せないのがスターとして価値があると
ファンをないがしろにする日本の俳優や事務所は見習うべき姿勢だ。警察やホテルが混
乱を避けようとするのは当然だが、どうしても一目見たいからいるのであって上手にさ
ばけば静かにしているのがファンだ。ワタシは撮影現場をオープンにする主義だったが
見学しているファンに一度も撮影の邪魔をされたことは無い。

くだらない昔話でした。

No.474 そう、完全燃焼したんです。

2004/11/19(金) 00:41 - 6 組 わっちん ()
ワタシの場合は。
が、しかし復活したのであ~る!

今年5月、石垣島の飲屋で東京から遊びに来た先輩とヘロヘロになりながら「ジョン
万次郎」について語りあっていたところ、ひょんな事から万次郎の気持ちになるため
に二人でヨットを買って乗ってみよう!と言う馬鹿らしい話になった。

高校生なら「話くわっちー」で終わるだろうが、我々は大人である。だから6月に愛
知県碧南市まで出向き「ヤマハ30C」と言う船齢22年の中古艇を買った。

買ったまでは良かったが、先輩はヨットに乗った事が無く、ワタシは2度乗っけても
らった事があるものの一度目はデッキに10分、二度目はウインチをガラガラと回し
ただけという「お客さん」の経験しかない事に二人して唖然とした。

愛知県から沖縄県まで買ったフネを持ってくる手段は三つ。
①船台を作り、マストを倒して船積みにする。
②プロの回航屋に依頼し海を渡らせる。
③自分で乗って海を渡ってくる。

共に貧乏サラリーマン故①と②にかける費用が捻出出来ず断念。先輩は船舶免許も持
たない上、多忙を理由に白羽の矢を無理矢理ワタシに刺す事を強行。ついにワタシは
書店で1860円の教則本を買って単独航海するハメになったのだった。

7月1日、単独で碧南市の碧南ヨットクラブに乗り込みヨットを渡される。約1週間
かけてGPS、HF/VHF無線機などの航海計器を備え付け、3日かけて離発着岸
を自習。全長約9m、総トン数8.4トンのヨットの割には13馬力のおまけの様な
エンジンで後進をかけて行き足を止める事がナカナカ出来ず泣いたりしたが、11日
碧南市を出航したのだった。これを「無謀」と人は言うが、ワタシは「人が出来るな
ら出来るんじゃない?」とタカをくくった「阿呆」だったのだ。

その日は三河湾にある三重県の神島に停泊。翌日、教則本にならって初めてメインセー
ルを上げるという経験をし、風を受けて走るヨットに感動していたら排気管から白い
煙が出て機関停止。海上保安庁の巡視艇に救助されるというアクシデントに見舞われ
たのだった。幸い英虞湾の入口だったので浜島まで曳航されて事件にはならなかった
が運良くエンジンを下ろしてオーバーホールする機会に恵まれたのだった。

そんなこんなで台風13個に遭遇しながら、三重県→和歌山県→徳島県→高知県→宮
崎県→鹿児島県→鹿児島県屋久島→中之島→奄美大島→徳之島→沖縄県中城港→那覇
港まで3ヶ月(航海26日)を単独航海し、帰って来たのだ。体重10キロ減、燃え
尽きたと言うよりボロボロ。同期会当日は宮崎にフネを置いて石垣に戻り仕事をし、
宮古空港のレストランで10分間の採用面接。走って乗り継いでグランドキャッスル
までタクシーで駆けつけると終わりになりそうだったのだ。

結論から言うとヨットに乗った経験が殆ど無くても、乗ろうと思えば乗れるようにな
ると言うことだ。が、確実に「死にそうな目」に5度は遭うので覚悟が必要だ。

次回は「運転中の携帯電話禁止!しかしモスチーズバーガーを運転しながら喰ったら
どうなるだろう?」を実験結果を交えて報告しよう。お楽しみに~!

No.473 みんな生きてる?

2004/11/13(土) 16:17 - tora ()
あらあら 完全燃焼したんでしょうか 夏のクラス会以降 さっぱり書き込みが減りましたね
年の瀬に向かってどんどんいけいけで いそがしんでしょうか?

皆さん お元気ならお元気でなくてもここで 憂さを晴らしてリフレッシュしてくださいね
私の目下のリフレッシュはパソコンとメールとマラソン 今回生まれて初めてフルマラソンに出ます
 もちろん 大会に出たことすらないんです 高校のときマラソン大会ってあったっけ?

とにかく 無謀なんです とりあえず練習としてあした生まれて初めてのハーフマラソンに出るからドキドキ
です だって練習で15キロ以上走ったことがないんで。。。。完走祈るのみ!

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