2011/03/31(木) 11:57 - 6 組 新里 孝 (男)
カキコ動かない。「何を書き記そうか?」と思料。書き出しては”消去”。つまるところ震災である。自分自身の言葉が出てこない。日々マスコミ報道を追う。無力を思う。何ができるか。義捐金も物資もできる事はした。微力だ。報道規制が死者に対し現実感を失わせている。死者が数字だけの羅列だ。現実感のない死亡報告に終始している。自然災害に無力を曝け出す人間をリアルに映し出す必要はないのか。死が生活から隔離されている。むしろ忌諱として分断されている。死生観が黙止されている。人間の「死」を見つめることが「命」の大切さを知ることに繋がるのではないだろうか。
自らの命を安易に絶つ者、他人の命さえも安易に奪う者。他人の痛みを感じ得ない者。己以外は者でなく物としか扱えないのか。「命」を、生きる人間の「死」を、現実として見つめていたい。
無慈悲で残酷な現実をカムフラージュするような非現実に奇異感をおぼえる。
震災の影響は私の無意識も揺り動かしている。死生観が浮上した。