2008/05/17(土) 01:49 - 12 組 明太子2 (男)
その前に少しだけ。
ここ数日の少しまじめな話に少しだけ付け足します。
楽しくあればいい、だから難しい議論はしないというのも一つの「制限」に相当するように思もいます。
自由な場としながら、楽しいことと限定的にするというのは結果的に自由ではなくなっている。
我々も長く生きているからこれまでの経験から伝えた方がいいというものも多数ある。
そして各人で得てきた知恵もある。こうした多くのことがまた別の誰かの新しい知恵に変わる。
それはとても意義の深いことだと思っている。
たくさんの本音を聞きたい。
だから、
そんな時に大切なことは絶対的な反応を求めないことだと思っている。誰かが聞いて”なるほど”と思ってくれれば。
例えば
現代社会の歪みの改善に、ある方向性を見いだしこれは”良い”という方法の意見もあるならば聞きたいよね。
また、最近の”切れやすい若者”の一つの原因に「食文化」の変化にある。となれば『どうなの?』と聞きたいよね。
そうした意味でそんなものは経験談があればたくさん聞きたい。
討論、激論は別にして多くの話を聞いてみたいとは思う。それを妨げない方向性は欲しいね。
インターネットの最もいいところはリアルタイムで連携が実現し
早いタイムサイクルで10人の知恵が100人の知恵となるところ。
インターネットはその功罪が紙一重で隣り合わせている訳だが、その善し悪しも使う人の心がけ次第ではあるよね。
少なくともいい方向で活用されることを祈っている。
それは個人の誠意に頼るほかないとは思うが、それを越えていい物が生まれることの方に希望を持っているから活用したい。
だから”制限”も”限定的な方向性”も主張しないで感じるままに。と歩めたらいいね!
というのが私の”本音”です。
さて昨日のつづき、”修行”ですが、当然ながら弓です。
でもそれを通して自分改革が進行中です。昨年末から未熟な自分を感じつつ取り組んでいます。
目標があるのでそれに到達することを願って忙しい出張先で短期的に弟子入りを行った。
初日
玄関で靴を脱いで道場に上がり挨拶をした直後
「履き物は入り船に脱いで、出船にそろえる。他人の場所では特に気を遣うべきです」
と入り方から注意されて始まった。
そして歩くとき、立つとき、座るとき・・・
あらゆる場面で”気迫”が無いと指摘された。そこから本格的な修行が始まった。
そんな初歩的なところから改めているのでいわゆる”弓道”の弓を引くところまでたどりつくのが一大事。
右を向いても、左を見ても”気迫””気迫””気迫”・・・と頭をよぎる。
だからまだ”修行”の始まりなのである。この先の不安でいっぱいです。でもやります。
そんな訳で”お帰り”には早い気もするので、ご無沙汰をするかもしれません。
ここ沖縄での諸行事、予定の合間でPCの前に座っています。
という事情であります。
また目標に少しでも近づいたら・・・「やったぜ!」と言います!