沖縄県立首里高等学校:29期 掲示板

No.406 感謝です

2015/12/26(土) 20:08 - JK ()
お詫び  これまでの投稿、知識不足と年数がたち記憶違いがあるかも知れません・・・

  未年から申年へ

自分も年が明けると還暦(今の60歳、若いと思う)実感がわかない、そう見られていないと思う・・・?
人生3/4(平均寿命から)/先は不明、
中島みゆきの歌「時代」に ~別れと出会いをくり返し~ がある。これから別れが増えるのかな~

  激動の70年代沖縄!

1972年 高2の時、多くの県民の願いであった本土復帰
      $~¥へ、おもちゃのお金のような円紙幣・軽い1円玉(アルミ製)
      子供のころのおこずかい1¢リンカーン・5¢ジェファーソン
      (ずーっとワシントンと思っていたワシントンは25¢)
      今ではドル紙幣がおもちゃのようだ?
      当時、高校生の自分には実感なかったが為替レートがドル安に、
      パスポートいらなくなった。
      (1973年 泥沼化したベトナム戦争 米軍が全面撤退)

1978年 通称730(車道が右側から左側走行に)
      慣れるまですごい違和感、車、買い替えるまで沖縄仕様の
      左ハンドルのマニアル車で左走行(当時の車は、ほとんどマニアル
      ・さびやすかったのもあるかも沖縄ではほぼ中古車)

センチになるかも知れないですが、
      沖縄に生まれ育ち、やさしい方々と出会い、チュラ海を見ながら
                          多くの体験を積ませて頂き感謝です。



  

No.405 70年代の青春時代の深夜ラジオ

2015/11/29(日) 01:15 - JK ()
また、思いだした事一つ

高一の時、隣の席の女子に聞いた情報で、

TBS?  平日の深夜放送、24時~朝方3・4時頃まで(時間帯忘れました)パックインミュージック、70年代に入り、ラジオの深夜放送が全盛時代を迎えたよう・・・

当時、パーソナリティーも豊富でフォークソングのの吉田卓郎、南こうせつ、北山修や山本コウタローなどが、

自分は中でも小島一慶と特にナチチャコパック(声優の2人?)は最高で(その女子もナチチャコが一番と言っていました)、毎回、聞いていたので、翌日の授業は午前中ほとんど寝てました。

馬鹿みたいに深夜から明け方まで起きていました。




No.404 沖縄の干物

2015/10/20(火) 01:01 - JK ()
先月、母の生まれ故郷、国頭村の辺戸へ2年ぶりに数少無くなった親戚に会いに行った。
去年は遠いので名護の親戚止まりで帰った経緯がある。

  行く前に母から辺土名(国頭村の村長所在地)か、辺戸部落の一つ前の宜名真部落で、妹の好きな

  ”フーヌイユ”・・・(和名シーラー、方言名マンビカの干物らしい)
 
を買ってきてと頼まれた。干物らしい?

生まれて初めて聞いた話し

辺土名漁港・宜名真漁港を訪ねると・・・・・・解ったこと。
地元では正月料理の一つでもあるらしい、宜名真では例年行事として
 
 ”フーヌイユ”祭りがあり、今年は11/18?にありそれ以降に売られるとの事。

親父に聞くと干物は寒い北風があると美味しい干物ができるとの事。

暑い沖縄での干物作りは珍しいとの事。さすが沖縄の北国ならではの話しだ感心した。



No.403 ニライカナイさんへ

2015/10/15(木) 23:36 - JK ()
辺戸部落に行かれて安須森御嶽=辺戸岳(地元では黄金杜?漢字はわかりせん)登られたようですね。

自分の母親は辺戸部落の出身で、先月、遅いお盆で親戚に会ってきました。チョー明るく優しい方々です。

子供の頃は夏休み中、宿題もしないで、従兄弟と海に行ったり山に行ったり、ただ「黄金もり」の頂上までは、まだ登ったことがないです(当時、危険で登らないように言われてて地元の子は登ったと行っていましたが)

辺戸の宇座浜遺跡は、沖縄の歴史では1万2000年の港川原人(貝塚時代=その詳細がいまだ不明)に次ぐ、縄文時代の3000年前の貝塚がシッカリ残っている、北方からの奄美キヨ民族由来の地と推定されています)

縄文時代の民族のあこがれた山、安須森のある不思議な場所です。

No.402 安須森御嶽(辺戸御嶽)

2015/10/11(日) 19:45 - ニライカナイ ()
安須森御嶽(辺戸御嶽)は一度は登りたいと思っていたのだが、

ネットで調べてみると

「帰り道にハブがいて命懸けで飛び超えた」
などの記述があったので長らく躊躇していた。


ただ今年、我々29期は厄年のど真ん中にあり(ちなみに来年は後厄)、
沖縄本島最北の聖地で手を拝わせたいという気持ちが強まり、出発した。

目指すは

辺戸公民館
沖縄県国頭郡国頭村字辺戸51番地3

公民館を確認し、そこから200mほど行った右に
登山口はあった。

すぐに拝所があり、黄金山の文字が。
実は、私はここからの写真撮影を一切止めた。
私には4人の姉がおり、2番目の姉が信心深い人間で、
「霊的なものにカメラを向けるな」ときつく言われていた。
安須森御嶽にはそんな雰囲気があるのだ。


登りは急登につぐ急登の連続なのだが、距離が短いので
息が上がるほどではない。
ロープもあるのだが、手足を使い、ロッククライミングの要領でよじ登ってゆく。

下りるときはロープがないと厳しいと感じたね。
頂上まで20分くらいか?

8合目くらいに浅目の洞窟があり、拝所がある。
驚いたことにその洞窟の天井が黄金色なのだ。
黄金山の由来はここから来たのだろうか?

頂上は360度の絶景眺望。
先客がいて、女性の二人連れ。母娘かな?
南を見ると長い海岸線、58号線だ。
あそこを通ってきたのだなと感慨深い。
北は辺戸岬から与論島。眼下には40軒ほどの辺戸集落。

頂上にも3か所、祠があった。
生家の屋号と番地、姓名を告げ拝んだ。
うむ、
これで厄年も無事に乗り切ることができるだろう。 

みなさん、
定年退職して時間に余裕ができたら、いかかでしょう。
(ただし辺戸岬まではやはり遠いね)


動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=QhWMHvD8ouY

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