2002/09/10(火) 01:01 - 22R 組 超朗 (男)
No.87で「慰霊祭 その1」のタイトルで、一中健児之塔の慰霊祭について出だしだけ書いて打ち切ってしまいました。
カキコミの途中で、同じ日に行われた首里高校野球部の活躍に話が跳んで行ってしまったものです。
本来なら慰霊祭プログラムの続きを書くべきだが、時がたち過ぎたので省略させてもらいます。
ただ先のNo.87で、
「ちょうどその時、首里高校野球部は、甲子園を目指して第一戦を闘っている真最中でありました」
と私の想像を書いたが、これを訂正します。
後日開催された養秀同窓会総会での会長挨拶で、「吹奏楽部の皆さんは、午前の慰霊祭で演奏したあと午後の試合に駆けつけて応援演奏をしてくれた」と話されておりました。
従って、慰霊祭は午前、野球は午後ということになります。
私の想像は、ドラマ風の希望的発想でありました。
更に余談です。
慰霊祭終了後、メルパルクで、最後の一中生(同期生会の名を「さくら会」と称しています)の同期生会が開催されました。同期生で戦死した者の遺族へも参加案内があり、ご好意にあまえて参加させてもらいました。
先輩方が最後の一中生としてのプライドと迫力をもっておられることに敬服した次第です。
そこで意外な出会いがありました。
メンバーの中に、本首里ネットの一中生らんにカキコミをなさる吉田朝啓先生がおられたのです。
勿論私の方から自己紹介をして、がっちり手を握りあったことは言うまでもありません。
深夜になったので、このへんで終わります。