沖縄県立首里高等学校:養秀の杜・植物苑 掲示板

No.76 琉球式道路舗装~②

2014/07/31(木) 14:27 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
最後の工程がユニークである。小豆大から微粒子となる表層には、アカバナーのエキスを混ぜる。アカバナー(Hibiscus chinensis)の小枝~葉~萼~蕾~花弁を大量に潰して、どろどろにしたものがエキスとして使用された。どろどろのエキスとイシグーは、下層と溶け合いながら、重い丸太で叩かれ、転圧されて、現代のアスファルト風に道路をカバーする。雨が降るたびに、上・中・下層がしっくり馴染んで、カビや土壌細菌などの働きで、固着され、まるで琺瑯のような見事な舗装道路が出来上がる。小生が学童の頃、雨降りの道路は、まるで糊付けされたように、ヌルヌルして、裸足でもズックでも、滑って転ぶ危険な道路であった。先人の見事な工夫を知らずに滑って遊んだ道路が、実は、琉球式道路舗装の傑作であったことを、古老に聞いて驚いたわけである。中国への進貢と冊封使の受け入れ、薩摩軍の侵攻、王族・高官による江戸との往来、ぺりー艦隊軍楽隊の入城、歴史的な往還が、実は、巧みな工法による舗装道路の上でなされたというエピソードに感嘆する。守礼門と観会門の間、わずか100mほどの道だけでも、琉球式舗装道路を再現・保存してもらえないだろうか。

No.75 琉球式道路舗装

2014/07/31(木) 14:07 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
1945年代、首里高校美術担当教師末吉安久先生が、小生の自宅(儀保町)にしばしば立ち寄り、旧友である小生の実父と歓談することがあった。ときには、近隣に住むカミガードゥンチ(亀川殿内)のお爺(亀川盛棟頑固党の子孫)も交えて、ゆったりと語り合う昔話や、いわゆる戦前の「ジーブニーセー(儀保町内の若者グループ)にまつわるエピソードや歴史秘話などが語られ、傍らで聞いている高校時代の小生には、すべてが興味深く、驚きの数々であった。その中で、いまでもはっきりと記憶にある驚きは、守礼の門周辺の道路に仕組まれた特殊な舗装技術であった。末吉先生の説明によると、観会門から、守礼門を経て、玉陵の前までの大通りは、世界で恐らく唯一の工法で、見事な舗装道路が完成していた。先ず、道路の下層(恐らくニービ)を平らに整地し、その上にこぶし大の石灰岩を敷き詰め、その上からは、順序よく卵大、指頭大、豆粒大、の砂礫をそれぞれ三寸ほどの厚さに敷き詰め、最後に微粒子の石灰岩(イシグー)を敷く。無造作に敷くのではなく、太い丸太を二人で縦に持ち上げて叩く転圧(?)で地ならしをやり、強固な地盤とする。

No.74 仮称「養秀の杜公園」

2014/07/24(木) 10:25 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
一中健児の塔慰霊祭やら、椿の会の移植事業やらで、本職(医師)そっちのけの活動に忙殺され、気が付いたら、もう、大暑。炎熱の中に飛び出る勇気も萎えて、「養秀の杜・植物苑」もほったらかしの状態となってしまった。先日の会合で、日時別に、全面積を対象に水かけやら苗の管理などを担当していた方式を改めて、区分(コーナー)ごとに担当し、それぞれの都合のいい日時に、責任を持って、管理しようという、フリーな方式となったせいか。苑内がますます生き生きとしてきた感じ。そうこうするうちに、養秀の杜のこの熱心な活動に同調するかのような、いくつかの動きが集まってきた。その一つ、沖縄椿研究会が首里地域の銘木、古木を首里城内に移植する事業に関して、連携を求めてきた。当方、全く同じ方向の活動なので、大賛成で、目下、椿の会の活動に参加中。ただ、古木を首里城内に移植するだけでなく、首里地区内全域を対象に「椿の町」ともいえるほど、普及していくプロジェクトも提案し、その一方で、首里城南斜面の雑木林も整理して、椿の見本苑ともいえる公園にしていきたい、と提案した。これも、椿の会が了承して、共々に、仮称「養秀の杜公園」を目指して共動擦ることになった、次第。、

No.73 仮称:椿の杜公園

2014/07/04(金) 11:58 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
沖縄椿研究会の動きと連動して、わが「養秀の杜・植物苑」でも、従来からの椿の植栽作業を延長していく方針をとり、金城町の養秀同窓会会館敷地から、東方向の雑木林を経て、守礼門辺りに続く雑木地帯を、整理して、清々しい公園にしてほしいと、那覇市や県に呼び掛けているところ。先日の養秀園芸祭の最終日(6月29日)には、椿研究会の松村さんと飯島さんによる講演会を開催して、椿の杜公園出発のイベントとした。研究会から提供された、沖縄の名花「久米紅(クメクレナイ)」も「養秀の杜」に届けられ、いよいよ、首里城台地南斜面が椿でどっさり茂り、公園化されていくことになる。
いま、県では、首里城台地南斜面のこの一帯を一元化して、遊歩道を作り、清々しい公園にしようという企画を進めているらしく、我々「養秀の杜」関係者も、このような前向きの動きに刺激を受けて、皆、勇んでいるところです。同窓の皆さん。どうですか、このヘルシーな運動に参加しませんか。

No.72 仮称・ツバキの杜公園

2014/07/04(金) 11:43 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
ツバキという植物があり、ヤブツバキなど、古くから沖縄の森や民家に生えていて、馴染みの植物なんだが、これを専門に研究し、育成し、普及に努めている趣味のグループがある。すでに、数十年の活動の歴史があって、頼もしい団体。一方、戦災で壊滅した城下町首里の旧家には、戦前に植栽され、大事にされた椿の銘木、古木が少なくない。これらの銘木が、住宅事情や都市開発の影響を受けて、枯死、伐採される恐れありと、心配して、研究会では、椿の銘木移植作戦を展開した。まず、当蔵町の屋敷にある、樹齢百年を超す椿を丁寧に根切りし、梱包して、取りあえず本部の美ら島財団に仮植えしておき、後程、首里城内の適所に植栽するという作業だ。我々「養秀の杜・植物苑」養秀園芸サークルの会員も参加した序に、その古木の枝を挿し木用にどっさり貰い受けた。無慮数百本の由緒ある椿の挿し木苗が来年には、提供できる見込み。
ツバキに興味のある同窓生は、早めに連絡して入手を心掛けてほしい。

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