沖縄県立首里高等学校:29期 掲示板

No.416 当時の在校生

2016/07/03(日) 01:36 - JK ()
申し訳ないです。

当時の記憶が薄れてしまって想い起こして見ると・・・。自分が在校時に存在した学科・・・。

全日制普通科→11クラス(4組~14組)
全日制家政科(1981年3月廃科)→小学校で転校した前いた小学校の子がいた。同じ中学の子がいた。
全日制食物科→1981年3月廃科。
全日制染織科→染織デザイン科(現在)に至る。
定時制普通課程→1980年3月廃科→夕方、遅く帰宅する時に登校していた。大人びていたような感じ・・・。

全日制では体育祭など行事は一緒だったので、男子が必要な時には直々に協力要請があったと記憶する?

No.415 生徒会

2016/06/23(木) 23:05 - JK ()
このところネタがなかったが思い出したこと一つ。

首里高のホームページに128代の生徒会の引き継ぎ式があったようだ。さすが歴史のある伝統校だ!

自分たちの時代、2年生になると各クラスから必ず一人は生徒会長か副会長のどちらかの立候補を出すことになっていて応援弁士もいたと記憶するが?(登壇者も多かったような)。
自分のクラスからは、もめた末に女子のGさんを副会長で薦め自分は応援弁士をやる事で決着した・・・。
Gさんはその後、生徒会活動で会計か書記で頑張っていた。
 三無主義世代だったが、やることはシッカリやっていたのかな?


選挙は大きく違うが。この7月に国政選挙では初めて18才以上の投票が行われる。伝統ある校風の首里高生としても政治・社会に大いに関心を持って・・・・・。

No.414 遠足

2016/04/24(日) 00:17 - JK ()

60を過ぎ、人生の先が見えてくると過去を思うことも多くなるのか?
なぜかふと、この掲示板に行き着くこと多くなった・・・

 この4月、首里高のホームページには1年生の宿泊研修やら新入生歓迎球技大会、2・3年生の遠足と催 しものが目白押し、時代が豊なのか、校風がそうさせるのか、伝統がそうさせるのか・・・

 
 遠い記憶をたどると、自分たちの時代の遠足は学年で日時は決まっていたようだったが、
 行く先はクラスで決めて、レクレーションを考えて現地集合・現地解散だったような想い出がある?
 帰りは行く先が同じ男女クラス仲間と一緒に路線バスに乗り合わせで帰った記憶がある。
 担任の先生は来なかったような・・・。

 懐かしい遠足、自主制を重んじていた校風だった。

No.413 自分は知らなかった、王都首里の不思議(ブラタモリから)

2016/04/13(水) 01:31 - JK

ブラタモリ番組初の沖縄上陸!

  ご存じの方いるかも知れませんが。2016年2月27日NHK総合テレビでの放映


 収禄日は寒く、沖縄名護では? 観測史上初の雪・雪交じりのみぞれ?

 
  その不思議はまるで「風が吹けば桶屋が儲かる」的な!


 今回は450年間にわたり、琉球王国の都だった那覇市の首里地区を訪問。「沖縄・首里~王都・首里は サンゴでできている?~」と題し、サンゴがもたらした首里発展の秘密を解き明かす。

 ①優雅な曲線を描く首里城の石垣はサンゴの贈り物だった?
 ②高台にもかかわらず湧き続ける「沖縄一」の名水の秘密とは?
 ③かつて首里城の周辺だけで作られていたという沖縄の伝統酒「泡盛」 
 ④沖縄で発展した武道「空手」、そしてサンゴの意外なつながりとは?

沖縄のシンボル・サンゴは炭酸カルシウムで固い骨格をつくる。十万~数十万年前のサンゴ礁が石となったものが琉球石灰岩。日本では沖縄や奄美にのみ分布し、隙間が多く水を通しやすいのが特徴。
・大陸から流れ出た泥が海底に溜まっていた200万年前、海底に沖縄トラフという裂け目が生まれた。さらに沖縄本島南部の辺りが海底から隆起した。泥は裂け目に流れ込み、沖縄の水が澄み切ったためサンゴが育った。
・数十万年前、再び隆起が起こり泥岩の上に琉球石灰岩が乗った首里の地層ができた。
・首里城独特の曲線を描いた城壁も、柔らかく削りやすい琉球石灰岩だからできたものだという。

関心のある方は、ユーチューブなどネットを参考に見て下さい。


No.412 金城町石畳道

2016/04/03(日) 20:23 - ニライカナイ ()

先日思い立って日本の道100選のひとつ、金城町石畳道を歩いてみた。
首里城の駐車場に車を止め、目の先にある真珠道(まだまみち)石碑を始点に
途中、石敢當を左に大アカギへ。石畳へ戻り終点(金城ダム通り?)まで下って
引き返し、金城村屋を左に一中健児之塔。首里高前に出て龍潭まで。

石畳道沿いの住宅は赤瓦の屋根が多く、庭や石垣に花や蔦を植え、
首里んちゅの心意気を感じる、雰囲気のある道程であった。

一中健児之塔は我々の時代は、いまにもハブが出そうな鬱蒼たる森の
中にあったと記憶しているのだが、周りは住宅も多く、立派な石碑が
整備されていた。

首里城の近くはあちらこちら駐車場になっていて、我々が教科書を買った
あの古ぼけた本屋は姿形もなかったね。

首里高校の新校舎はいまだ出来ず。
気になったのでネットで調べてみた。


★首里高改築 来年度に工事再開

夏頃に特別教室棟着工 28年度完成へ-県教育庁
 県教育庁では、文化財発掘調査のために工事を中断していた首里高校の管理・特別教室棟改築工事を
27年度から再開する。
 工事は、今のところ、来年6~7月頃に国の補助金交付が決定された後、
建築(3工区程度)・電気・空調・衛生・昇降機の計7件程度に分けて発注(一般競争、土木建築部に分任)
する予定だが、今後、具体的な工事計画を取りまとめ、発注準備等を進める中で確定する。
 スケジュールでは、入札等を経て、27年夏頃にも本体工事に着手し、28年度内の施設完成、
29年度の供用開始を目指す。
施設概要は、RC造4階建て・延床面積約5,000㎡程度。1階に多目的教室、図書室、
家庭科実習室等、2階に書道教室、視聴覚教室、職員室等、3階にLL教室、音楽教室、美術教室等、
4階に倉庫等を配置する計画。
 同特別教室棟は、23年度に工事7件の入札を実施し一部着工していたが、
グラウンド内から中城御殿の遺構と思われる石牆等が確認され工事を一時中断。
現在実施している発掘調査が来年2月頃で完了する見通しが立ったことから、
工事の再発注が決定された。
 同庁では、このほか、既存の管理・特別教室の位置に、
普通教室棟の(RC造4階建て・延床面積約4,400㎡)建設も計画している。
28~29年度に発掘調査等を実施し、30年度に本体着工、31年度の施設完成を目指す。

http://www.okitel.com/articles/7detail.php?article_id=1412171001&mode=detail


首里高、古都彩る赤瓦 新校舎、町並みに調和

http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-191913.html


首里高に中城御殿跡か 運動場から石積み遺構

http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-194324.html


一中健児之塔は、1950年4月30日に旧沖縄県立第一中学校同窓会の浄財により
元同校寄宿舎養秀寮跡に建立された。
その後、創立百周年記念事業として養秀会館の建設と同時に一中健児之塔の改修移設が行われ、
昭和54年に除幕式、入魂式が挙行された。

http://www.youshu.com/icchu_kenjinotou.php

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