沖縄県立首里高等学校:29期 掲示板

No.421 紅ショウガ

2016/11/09(水) 23:58 - JK ()

  申し訳ないです。突然思い出したこと、

    紅ショウガ  
  
  沖縄そばには欠かせない、沖縄そばの味を引き出す、箸休めと言うか大事なアイテム・・

 40年くらい前、学生時代に大手の内資系ホテルでバイトをしていた時、内地から来ていた赴任者が社員 食堂で白いご飯の上に紅ショウガをのせて食べていた。当時、自分は紅ショウガとご飯と食べると言うこ とが無かったので軽いカルチャーショックを受けた。(その後試して見た)

 今では当たり前のように白いご飯に紅ショウガをのせて食べている。
 漬け物感覚のもってこいの箸休めだ!
 

No.420 いつも独りよがりな投稿で申し訳ないです。

2016/10/09(日) 02:16 - JK ()

昨日、「石原裕次郎と美空ひばりの昭和のスター」の特番を見ていて思い出したこと、
 
 高2の時に、
 時間がくると毎週、絶対に欠かさず見ていた(ビデオがなかった)TVドラマ、
 1972年、夏頃から始まった

  「太陽にほえろ」

初代のマカロニ(萩原健一=ショーケン、ちなみにニックネームのショーケンは埼玉の大宮では大きいダイケンと小さいショーケンが巷で番を張っていたとも・・)、2代目ジーパン(松田優作)の時は欠かすことなく見ていた。ジーパン(今や死語か?)の着ていたブルージーンも格好良かった。
二人ともその後、俳優の地位を確立していく。



* 犯罪者側の描写を控えた。初期段階から新人刑事の成長物語を主軸に描く、今風な若者が当時の世相も反映し、主人公は、刑事役としては異例の長髪で、ファッショナブルな衣装の「NOWな若者」を主人公と警察という組織にありながらも、反体制的で自己主張するキャラクター。

初代の主役はザ・テンプターズのメンバーとして人気を博した萩原健一、俳優への転向を摸索していた時期、

銀幕のスター・石原裕次郎はテレビという媒体への出演に懐疑的だったが、自身が経営する石原プロモーションの台所事情もあり、1クール契約で出演を承諾。他にも大映倒産後に東宝入りした関根恵子や、東宝所属の竜雷太などのキャストが集められた。

裕次郎に出演が打診された当初、先述の理由などから本人は乗り気でなかったが、まき子夫人が「裕さんと同年代の人は今頃皆、家庭を持ち、父親になっているころだよね。今回の役が息子を待つ父親みたいな役どころっていうのは裕さんにとっていいと思う」と夫に出演を勧めたと言われている。『太陽にほえろ!』のタイトルで制作が決定。当初は主人公・早見淳は皆から「坊や」と呼ばれる予定だったが、萩原が猛反発。衣装のイメージから「マカロニ」のニックネームが決まる。

新人刑事の活躍を斬新に描いた番組は当時の小中学生から一般視聴者層に受け入れられ、『水戸黄門』と並んで国民的人気番組と称せられるようになった。

「これからはテレビの時代です!」と、1クールで契約切れになった裕次郎の続投を本人に強く推したのは竜雷太だと伝えられる。実際に、最初の撮影では、16ミリフィルムのカメラを見て、映画俳優だった裕次郎は、「そんな小さいカメラで俺が撮れるのか」と馬鹿にするように言い放ったという。テキサス刑事編で当時の最高視聴率を記録した際、裕次郎がフジテレビ『夜のヒットスタジオ』に出演した時に司会の芳村真理から『以前は街中でも〝裕ちゃん〟と呼ばれることが多かったと思いますが、最近では〝ボス〟と呼ばれることが多いんじゃないですか?』と聞かれ『イヤ…テレビの影響って凄いですね。どこへ行ってもボスですから…』と答えている。本作のヒットによりテレビの影響力を知った裕次郎は、石原プロモーションで『大都会』や『西部警察』といったテレビドラマの制作を手がけるようになったという

その後、松田優作に目をつけてテスト出演させ、松田を次期新人刑事に採用した。マカロニの犬死という衝撃的な展開が話題をまいた後、柴田純(ジーパン)が着任しドラマは新たなスタートを切った。松田の野性的な風貌と長身をフルに生かしたアクションで、第61話「別れは白いハンカチで」から常時20パーセント以上の視聴率(ビデオリサーチ関東地区調べ)をキープする人気番組に成長。ジーパンだけでなく個性的なベテラン刑事達の活躍も話題を集め、第87話「島刑事、その恋人の死」で28.4パーセントを記録。第94話「裏切り」ではついに30パーセントを突破した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

No.419 学生服の襟章

2016/09/13(火) 00:02 - JK ()

そういえば、おそらく高1か高2の時だと思うが・・・。

 学生帽をかぶらない男子が増え、学ランに襟章を付けようと言う事で、公募の中から採用された襟章を付 けていた記憶がある(自分も応募したが不採用だった)。
 
 あの襟章は今、どうなっているのだろうか・・・・・。

No.418 一本線

2016/09/04(日) 00:06 - JK ()

  高一の時、女子が首里高を選んだ理由の一つに「制服が可愛かったから」と聞いた事を思い出した。
 
 今では制帽をかぶる男子も少ないかも知れない。
当時、男子は一本線の白線の帽子をかぶって(個性豊かに形を変えたりして・・・、 当時、丸刈り短髪が減りはじめ・・・以外、長髪が流行りだした時代、かぶらない男子も増えていった・・・・・)

  中には個性を強調して、流行に逆らったり

 
 首里高校の女子の制服は 1955年入学の13期生が生徒会を務めたときに、現在のデザインに変更したらしいが。特徴は女子生徒の制服の襟に入った一本の線。夏服は白地に紺、冬服は濃紺地に白の一本線が入っている。同校の前身、旧県立一中の「一」を象徴している。かつてあった学生帽にも同様に一本線が入っていて、他校生徒からあこがれの目で見られたという。
 登下校中に、「首里高生ね?」と声をかけてもらったり、歴史ある学校なんだなと・・・。

No.417 元気です。

2016/08/21(日) 23:08 - JK ()

自分たちの高校時代

1971年のフォークソングのヒット曲で 
「あの素晴しい愛をもう一度」(北山修作詞、加藤和彦作曲)は、今でもふと聞くことがあると、当時を想い懐かしい........名曲だ、遠足などで集い集まるとみんなで歌っていた・・・。

愛唱歌だった。

フォークソングでは、個人的にはかぐや姫の中で伊勢正三が大好きだが。
たまに歌いたくなるのが吉田拓郎の「元気です」

自分としては励ます人生の愛唱歌になる名曲だと思う。

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