2016/10/09(日) 02:16 - JK (男)
昨日、「石原裕次郎と美空ひばりの昭和のスター」の特番を見ていて思い出したこと、
高2の時に、
時間がくると毎週、絶対に欠かさず見ていた(ビデオがなかった)TVドラマ、
1972年、夏頃から始まった
「太陽にほえろ」
初代のマカロニ(萩原健一=ショーケン、ちなみにニックネームのショーケンは埼玉の大宮では大きいダイケンと小さいショーケンが巷で番を張っていたとも・・)、2代目ジーパン(松田優作)の時は欠かすことなく見ていた。ジーパン(今や死語か?)の着ていたブルージーンも格好良かった。
二人ともその後、俳優の地位を確立していく。
* 犯罪者側の描写を控えた。初期段階から新人刑事の成長物語を主軸に描く、今風な若者が当時の世相も反映し、主人公は、刑事役としては異例の長髪で、ファッショナブルな衣装の「NOWな若者」を主人公と警察という組織にありながらも、反体制的で自己主張するキャラクター。
初代の主役はザ・テンプターズのメンバーとして人気を博した萩原健一、俳優への転向を摸索していた時期、
銀幕のスター・石原裕次郎はテレビという媒体への出演に懐疑的だったが、自身が経営する石原プロモーションの台所事情もあり、1クール契約で出演を承諾。他にも大映倒産後に東宝入りした関根恵子や、東宝所属の竜雷太などのキャストが集められた。
裕次郎に出演が打診された当初、先述の理由などから本人は乗り気でなかったが、まき子夫人が「裕さんと同年代の人は今頃皆、家庭を持ち、父親になっているころだよね。今回の役が息子を待つ父親みたいな役どころっていうのは裕さんにとっていいと思う」と夫に出演を勧めたと言われている。『太陽にほえろ!』のタイトルで制作が決定。当初は主人公・早見淳は皆から「坊や」と呼ばれる予定だったが、萩原が猛反発。衣装のイメージから「マカロニ」のニックネームが決まる。
新人刑事の活躍を斬新に描いた番組は当時の小中学生から一般視聴者層に受け入れられ、『水戸黄門』と並んで国民的人気番組と称せられるようになった。
「これからはテレビの時代です!」と、1クールで契約切れになった裕次郎の続投を本人に強く推したのは竜雷太だと伝えられる。実際に、最初の撮影では、16ミリフィルムのカメラを見て、映画俳優だった裕次郎は、「そんな小さいカメラで俺が撮れるのか」と馬鹿にするように言い放ったという。テキサス刑事編で当時の最高視聴率を記録した際、裕次郎がフジテレビ『夜のヒットスタジオ』に出演した時に司会の芳村真理から『以前は街中でも〝裕ちゃん〟と呼ばれることが多かったと思いますが、最近では〝ボス〟と呼ばれることが多いんじゃないですか?』と聞かれ『イヤ…テレビの影響って凄いですね。どこへ行ってもボスですから…』と答えている。本作のヒットによりテレビの影響力を知った裕次郎は、石原プロモーションで『大都会』や『西部警察』といったテレビドラマの制作を手がけるようになったという
その後、松田優作に目をつけてテスト出演させ、松田を次期新人刑事に採用した。マカロニの犬死という衝撃的な展開が話題をまいた後、柴田純(ジーパン)が着任しドラマは新たなスタートを切った。松田の野性的な風貌と長身をフルに生かしたアクションで、第61話「別れは白いハンカチで」から常時20パーセント以上の視聴率(ビデオリサーチ関東地区調べ)をキープする人気番組に成長。ジーパンだけでなく個性的なベテラン刑事達の活躍も話題を集め、第87話「島刑事、その恋人の死」で28.4パーセントを記録。第94話「裏切り」ではついに30パーセントを突破した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。