沖縄県立首里高等学校:11期 掲示板

No.389 同期会顛末記

2006/11/17(金) 01:02 - 22R 組 超朗 ()
おもろさんやみいさんの激励に応えて、我らの同期会の結果を報告します。
私たちの同期会は、10年位前から地域単位で幹事を引き受ける仕組みにしています。
例えば今回は、西原町出身者と在住者の皆さんが幹事をやり、
11月11日、盛大に卒後50年の同期会を開催してくれました。
内容は省略して、私事みたいなのにとんでいきます。
当日は定刻前に受付をすませ、懐かしい友人たちと挨拶したり握手したりしながら、
指定されたテーブル(クラスごと)へと進んだのであります。
テーブルにあるプログラムをゆっくりと眺めるのは、わくわくしていいものです。
A君が開会の挨拶をして、B君たちが幕開の演奏をしてくれるのなか、・・・ふんふん・・。
同窓会長と恩師の挨拶と・・・・。
大先輩方は話が長いから、ちと短くしてほしいなあ。
・・・・・・・・・・・・・・・。
”なに!”、”あれれ!”。
最後のあたりに、「次回幹事代表挨拶 超朗」とあるではないか。
今さら青ざめても後の祭りだが、考えてみれば思いあたる節はあります。
実は前々から、次回の幹事は南風原町出身者の番だがやれそうか?、
という打診らしきものはありました。
「よしよしまかしておけ」と適当に受け流したものです。
わが町出身者があまりにも少ないので、打診する側としては半信半疑だったと思います。
でも現にプログラムにあるから、逃げるわけにいきません。
挨拶、余興、校歌斉唱等々と進んで、いよいよ次期幹事の出番となりました。
幹事一同、壇上に上がって1席ぶちたいところだが、
会場にいるわが町出身者は1人だけ、この頼りない私だけだったのであります。
とにかく壇上に上がってマイクを握ります。
「えーと、22Rの超朗と申します。」
途端に「来年もやれ」「毎年やれ」と大声が飛んできました。
「えーと、いきなり大事な提案がだされましたが、その件については挨拶を済ませてから、
取り上げたいと思います。
「わが南風原町出身者の数は少ないが、関係が深く十分に資格のある人たちを幹事に加えたいと思います。」
「まずはC君、彼は小学校4年まで南風原に住んでいました。」
「次はC君、僕が結婚した時の参謀長です。生涯僕の面倒をみることになっています。」
「D君、彼のお父さんはむかし南風原で先生をなさっていたそうです。彼も南風原で生まれたはずです。」
「E君、彼の嫁さんは南風原出身です。」
とたんに会場から”おれはどうしてくれる”という声が飛んできました。
「あ、もう1人容疑者、じゃなくて真犯人がいます。F君、彼の嫁さんも南風原出身です。」
「では皆さん壇上へあがってください。1人ずつ決意表明をお願いします。」
最初はにわか南風原人に仕立てられて戸惑っていた皆さんだが、
いざ壇上に上がるとやる気まんまん、まかしておけと演説をぶったのでありました。
なかには「ぜひ来年やりたい。超朗委員長が決断するはずだ。」と言い出すしまつ。
さらに会場から声がとぶ。”G先生も南風原だぞ”。
「あ、そうでした。では先生も壇上に上がってください。先生も一緒にはいってもらいます。」
というわけで、先生も幹事に加えることに。

さていよいよ来年やるかどうか、つまりは毎年やるかどうかのの話をしなければなりません。
なんとか2年後にしたいなあと思いつつ、
「えーと、では最初に出された提案、つまり毎年やるかどうかについてうかがいます。
とかく意見というのは声の大きい方へつられがちなんですよねえ。
遠慮なく本音を言ってください。」
「従来通り2年ごとにやる方がいいと思う方はいますか。1人いました。」
「では毎年やる方がよいと思う方、この方が多数ですね。では来年もやることにします。」
という次第で、結局毎年やるような流れになってしまいました。
こうなったら覚悟をきめて、さらにあの手この手で支援者を増やして、なんとかしようと思っているところです。






No.388 来月 楽しみですね

2006/11/01(水) 19:56 - みいちゃん ()
 卒後50年ですか、、、。わたしんとこは 卒後30年にちょい足りないって感じです
頑張ります 笑

みなさんの書き込みで懐かしい平和通りがよみがえってきました
トグチ万年筆の店主の彦一さん 九月に91歳くらいで亡くなられたようです
ちなみにご自宅は 私が働いてた会社が作ったんで 感慨もひとしおでした

No.387 ありがとうございます

2006/10/08(日) 01:39 - ねこ 組 おもろさうし ()
超朗先輩
お祝いのメッセージありがとうございました。

横のつながりのみならず諸先輩方との縦のつながりも
大切にしていきたい、と温かい気持ちになりました。

人生の先輩でもある11期の先輩方へ。
卒後50年おめでとうございます!

No.386 雰囲気は同じ

2006/10/07(土) 22:45 - 22R 組 超朗 ()
あんらぎさんとおもろさうしさんの記憶は、当時のイメージを具体的に蘇らせてくれます。
私たちの時代もそんな感じでしたよ。
そういえば、春休みに帰省した時、両替のおばさんと取引したことがありました。
手持ちのドルを円に替えたのであります。
正式には、鹿児島の港から上陸する時に、税関に手持ちのドルを申告して円に替える手順に
なっていたと思います。
しかし沖縄でヤミで円に替えると、少し得する仕組みになっていました。
新学期で出かける時に、その円を服のどこかに忍ばせて鹿児島での上陸手続きにのぞんだのであります。
申告したのが確か10ドル位(当時の換算で1200円)でした。
係官いわく「それだけで足りますか?」。
しまったと思ったが、あとのまつり。
とっさの返事は「あ・・いえ、その・・友だちが待っているから大丈夫です」。
係官は無表情で「そうですか」
と言って、後は事務的に手続きを進めてくれました。
相手はプロ、とっくにお見通しのはずだが、学生に対しては割りとおおらかだったですね。

話は変わって、
おもろさうしさんたちの生誕50年、おめでとうございます。
我々卒後50年と同じく、11月に同期会をやるのも奇遇ですね。
卒後50年一同から生誕50年の皆さんへ、お祝いのメッセージがあったと
伝えて下さい。




No.385 大越百貨店の置土産

2006/10/07(土) 13:43 - ねこ 組 おもろさうし ()
私がまだ赤ん坊の頃、ずっと年歳の離れた姉が
私の子守だったという。

昔牧志に家があった頃、赤ん坊の私を背負って
よく大越百貨店をのぞいていたそうな。

そんなある日、いつものように店内を散歩していた姉は
おぶっている赤ん坊の尻のあたりにあったかーいものを感じたそうな。

昔はのどかです。
店のすみっこでちょちょっと後始末した姉はゴミ箱が見当たらず焦ったそうな。
困り果てた几帳面な姉はおみやげをきれーいにくるみ、
持っていた紙袋にきれーいに入れてさりげなく
陳列棚に陳列してきたそうです。

のちのちの我が家の笑い話として語られた実話ですが
間違って開けた方はひっくり返られたことでしょう。
私になんの罪もないことは明白ですが昔ののどかさとともに
我が家ではなつかしい思い出となっていたようです。

あんらぎ先輩の平和通り今昔でなつかしい思い出がよみがえりました。

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