沖縄県立首里高等学校:60期 掲示板

No.100 Facebookスタート

2013/08/17(土) 10:44 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
小生の「養秀同窓生掲示板縦断の旅」を、いま、一休みしていますが、「縦断の旅仲間」さんから、「読んだ、面白い、Facebookも広報力が優れているからこれも利用したら?」という提言があり、小生、早速、園芸サークルの若いメンバーの手ほどきを得て、ようやくスタートしました。いやあ、アイコンやら目印やら、コピーやら、手続きがややこしくて、小生のような後期高齢者がスイスイとやれるようなものではない。四苦八苦して、数百名の友達申し込みから、身元のはっきりした人だけ、クリックして、絆を結びました。小生、中南米、東南アジア、アフリカからのJICA研修生の講義に毎年参加しているせいか、世界中の人から友達申し込みがあって(中には曰くありげな若い女性からのお誘いめいたものもあり)、どきどきしながら、キーボードをクリックしています。この、ワクワクが年寄にはいいのかもしれない。あの有名な聖路加病院の日野原先生も90歳を超えてからフェィスブックを始められたそうで、「老化防止に最適だ」と、世の高齢者に勧めておられる。最近、フェイスブックに関する本も出版しておられる。日野原先生の生き方に感応して、「沖縄新老人の会(ONE:Okinawa New Elderly)も発足している。琉球大学鈴木名誉教授が会長を務められ、例会は超満員である。要するに、年とっても、頭脳を使ってたくましくいきるという、信条である。若い諸君、ぼやぼやしてはおれんぜよ。

No.99 横断の旅仲間さんへ

2013/08/08(木) 16:43 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
去年辺りから、連続して、首里高校掲示板の各期に書き込みをして、養秀同窓会の会費(¥1000)納入の件をアピールし続けましたが、二回の縦断の旅を繰り返すと、少々草臥れてきて、ついに、三回目を中断しました。しかし、会費の件は、同窓会も新案を編み出して、改善されたようなので、小生は、専ら養秀園芸サークルの「養秀の杜・植物苑」の整備に、仲間と一緒になって、汗を流しています。この件も話せばながい書き込みに名なりますが、同窓生掲示板の欄に「養秀の杜・植物苑」という枠を設けてもらったので、そこで述べるとして、お尋ねの会費納入の方法については、直接同窓会事務局(098-885-6437)に問い合わせしたほうがいいでしょう。同窓生からの反応が少しでもあると、事務局は非常に喜び、元気づけられるようですよ。それから、小生個人のフェイスブック?についてのご提案については、実は、園芸サークルの若い仲間からの勧めで、つい最近開設しました。ところが、その後の運営や通信手段について、81歳の頭では俄かに操作不能で、現在、多くの「ともだち」に待ったを架けたままになっています。まるで面識のない人から、友達になりたいと、入信がありますが、恐る恐るクリックしているところです。「縦断の旅仲間さん」も、是非参加していただくよう、今晩も操作に取り組んでみます。いままで、養秀の同窓生掲示板に書き込みをしても、誰が読んでくれていつのか、さっぱり反応が分からず、五里霧中の中を一人さまよっていた感じでしたが、「仲間さん」の今回の通信に勇気が湧いてきました。有難う。

No.98 最後の一中生の吉田さんへ

2013/08/05(月) 20:40 - 横断の旅仲間
こんにちは。
60期の者です。
久しぶりにこの掲示板をのぞいてみると、掲示板に吉田さんの書き込みがあり、
「最後の一中生」というネーミングにひかれて、60期…59期…58…と下りながら、横断の旅を追いかけました。

どの期への書き込みも、どれひとつ同じ文章でないことも驚きましたが、
どの書き込みも、ユーモアがあって、暖かい想いが伝わってきて、楽しく読ませて頂きました。

卒業後、10年が立ち、吉田さんがおっしゃるとおり、私たちも人生の地歩を固めるための、一番大切な時期に入りました。
日々連絡を取り合う友も、卒業以来会えていない友も、首里高生みんなが毎日充実した日々を過ごしていますように!と心から願っています。

吉田さんも、これからもお元気で、首里高生のために書き込みを続けてください。よろしくお願いします。



PS.養秀同窓会の年会費(¥1000)は、どのように払えばいいですか?ぜひ払いたいです。

また、ご提案ですが、Facebookでも記事をアップしませんか?
最近はみんな、Facebookでやりとりしたり、近況を把握するので、こちらの広報能力もすごいですよ(^0^)
吉田さんがFacebookに登録したら、私はすぐフレンド申請します。

No.97 首里城台地を想う

2012/12/12(水) 15:46 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
ハブが出たことで、玉陵に着目し、その東西南北にある雑木林を踏査するうち、かねて頭の中に占めていたある概念を整理する気持ちになった。それは、そもそも琉球王朝(第一~第二尚氏)が、どうして拠点を首里の丘に決めたかという点。首里城台地(標高150mほど)よりも高い弁が岳(標高161m)が目の前にあるのに、そこを選ばず、この丘に決めたこと。それは、その頃から首里城台地の現在地が「峨峨たる岩山」だったからではないか。その頂上に立った時、英祖も尚巴志もこれはいい眺めじゃと、感嘆したに違いない。東北には、なだらかな弁が岳が控え、南には谷(繁多川)を越えて識名台地が控え、北には虎頭の丘が伸びている風水絶佳な位置を一瞬にして見とったのではないか。足元に広がる琉球石灰岩の石また石。よし、ここに砦を築き、見渡す限りの島尻一帯を治めようと、決心した。・・とまあ、想像をたくましくした。要するに、城を築く材料としての琉球石灰岩が魅力だったのだ。今見る首里城の石垣のあの膨大な石は、余所から持ってくるにしては膨大過ぎる。城下町に使われる屋敷の石垣にも膨大な石が必要である。
それに、もう一つ大事なポイントは、瘡蓋のように首里の丘を覆っている琉球石灰岩の下に硬く横たわっている粘板岩(クチャの層;不透水層)。これは、石灰岩層を浸透してきた雨水を受け止めて滞水層を形成し、地下水を貯め、横に流して首里城台地の東西南北の湧泉を育て、物作りと生業を助けた。東の泡盛、北の紙漉き、南の豆腐ともやし(マーミナ)、西の染物。みな、首里城台地からの贈り物である。

No.96 誰もいない

2012/08/18(土) 10:13 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
小生首里高4期、最後の一中生の一人。故あって、この同窓生掲示板の広報能力に頼って一中世代から全世代縦断の旅を続け、書き込みを続け、いま、ようやく60期の欄までたどり着きました。故あっての、その故も最初は、養秀同窓会の年会費(¥1000)を納入している会員がたったの8%だと知って、頼まれもしないのに納入促進キャンペーンの旅にでたのが最初の意図。そのうち、同窓会文化部「養秀園芸サークル」が続けている趣味の園芸へ誘導しようという会員募集の意図。でも、最近、50期~60期辺りまで来ると、趣味どころか、みんな学問、就活、婚活、など、人生の地歩を固めるための、一番コンパクトな時代にあり、わき目も振らず、全力疾走のご様子。そのためか、60期の投稿欄もほとんどがら空き。6年前の書き込みに「開けてみたら、誰もいない」とびっくりする「山しょ」さんだけ。でも、「首里高60期は、ひとり残らず最高」と、叫ぶあたりは、やはり、忙しくても旧友に思いをはせる情熱がある。長い「同窓生縦断の旅」で感じたことだが、卒業後日がたつほどに書き込みが増え、3000を超す欄もあるほど、この掲示板は同窓生相互の通信手段として抜群の働きをしています。卒後、10年の間、懸命に生活している仲間同士を励まし合うためにも、この掲示板の存在をお互いが知らしめ合い、支え合っていってほしいと、先輩の一人としてお勧めしたい。

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