沖縄県立首里高等学校:一中時代 掲示板

No.135 沖縄一中鉄血勤皇隊を偲ぶ遺跡

2014/10/22(水) 16:28 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
遺跡「玉御陵(タマウドゥン)」の南側にある養秀会館の北側斜面。そこはいま、雑木雑草が茂って、ハブが生息し、一般の人が立ち入れないほどの荒蕪地となっている。これを那覇市、県、養秀同窓会が一体となって整地整備して、公園化してほしいと、数年前から提案し続けてきた。その甲斐あって、先月から、県土木部と同窓会の合議が始まり、いよいよ本格的に整備事業がスタートすることになった。快哉。ところが、斜面を整備して遊歩道を整える作業がメインとなり、肝心の「一中鉄血勤皇隊を偲ぶ遺跡」という観点が抜けているんじゃないか、と、懸念される傾向にあるので、最後の一中生の一人として、以下、遺跡としての意義が薄れないように、肝心な点を列挙しておきたい。
激烈な沖縄地上戦・地獄のような砲煙弾雨の中を辛くも生き延びた元一中健児隊の痛恨の胸の内。「海邦養秀」の伝統を受け継ぎ、戦後不死鳥のように立ち上がった首里高校の「二度とこの地に戦争の災禍をもたらしてはいけないという平和への強い意志」を永く留めるために、平和祈念資料室が設けられた。このような禍々しい戦を沖縄になぜ引き入れたのか。その歴史的経緯を含めて沖縄地上戦の病根を抉り、戦火に巻き込まれた万余の人々の災難の実態を克明に記録した出版物も少なくない。

No.134 首里全域を巨大な史跡博物館に!

2014/10/22(水) 11:13 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
「すべてのスージグヮーに固有名詞を」という願いは、首里を想う人士によって、叶えられそうだが、スージグヮに名前を付けただけでは、物足りない。スージグヮーは、人体でいえば、動静脈であり、人や物の通路でしかない。この動静脈によって養われる人々の憩いと生業があったし、いまでもこれが保障されなけれならない。町の血肉の部分である。首里城の東に繁盛した泡盛文化、南にはモヤシと豆腐、北に琉球和紙が、そして、西に伸びる往還「綾門ウフミチ」がある。そして、名もない民家でも、かつて、例えば、羽地朝秀が、亀川親方などが住んでいたとか、史跡としての価値が沈んでいるかもしれない。これらすべての有価史跡を確認し、表示し、後輩に知らしめ、観光資源化することも可能である。来る11月17日(月)14:00~、首里公民館で小生がリードするつもりだが、関心のある人士も加わって、この壮大な夢を共有しませんか。

No.133 首里全体を巨大な史跡博物館に!

2014/10/22(水) 10:52 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
先日、知り合いの人からの依頼あり。「首里のマチマーイグループ」で、首里のスージグヮーのすべてに、固有名詞をつけるという小生のかねてからの提案に賛同して、「どういう趣旨か、話をしてくれ」という、講演依頼である。小生、待ってました!とばかりに、一も二もなく、OKした。かつて、小生、ロンドンに遊学した頃、ヒースロー空港からタクシーに乗り、行く先を告げると、「イエスサー」と一言。迷いも戸惑いもなく、ピタリと目的の宿屋前に届けてくれた。大学の門前とはいえ、わずか20メートルほどのささやかな路地「ケッペルストリート」である。聞けば、ロンドンのタクシードライバーは、市内の数千の路地につけられた固有名詞をすべて暗記し、最短距離で目的地に届けるよう、義務付けられており、免許の資格となっているという。郷里首里に帰って、廃墟となった城下町に意気消沈したことがあったが、家屋敷と文化遺産が壊滅状態になったが、不思議にも、城下町のほとんどの路地は、残されていることに気付いた。
小生、この路地の再確認と固有名詞付与の責務を感じた次第。

No.132 首里全域に白い桜を

2014/08/21(木) 16:30 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
いま、首里金城町にある養秀会館の北側斜面から、東の方へ、およそ一キロ、荒れ果てた雑木林が連なっているが、那覇市、県、国がこの辺りを一括して「公園化」しようという動きがあり、これと連動する形で、沖縄椿研究会が、あらゆる椿の見本園にしたいと始動しており、また、われわれ、養秀の杜・植物苑の養秀園芸サークルも、前述のように、真っ白い桜をどっさり植えようと意気込んでいるところ。一中20会と同窓会の共催となる予定だが、同窓生の諸君も、この趣旨を理解して、植樹運動に積極的に参加して欲しいと、心からねがいます。今年の「王朝まつり首里」での、「養秀園芸まつり」(伊志嶺町農協広場)では、この椿と桜の展示・即売のコーナーも設けられるので、想定される公園のためだけでなく、各家庭に白い桜も植えて、首里の街づくり花いっぱいに参加してほしいのです。

No.131 白い桜の話

2014/08/21(木) 16:15 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
来年(2015年)は、沖縄戦が終わって(牛島司令官が自決して)丁度70周年となる。一中鉄血勤皇隊が散華して、やはり丁度70年。小生は最後の一中生として、戦陣で散ることはなかったが、生き残り(艦砲の食べ残し)として、勤皇隊の面々が生きて”やりたかったこと”を想い、いろいろと仲間と話し合い、いろいろと考えたが、無数にある夢の中で、一番ふさわしいと考えたのが、故郷沖縄をとにかく平和にするということ。二度と再び戦場にさらすことのないよう、願い、努力すること。ややっこしいが、とにかく、来年は、その念願を形にするために、桜をどっさり植えようということになった。ただの赤い桜じゃなく、クメノサクラを、ということになった。クメノサクラは、勤皇隊が結成され、出陣した三月に咲き、三月にハラハラと散る、郷土の桜の一種。その珍しい桜が、北部で増産されているということを聞き、注文してきた。そして、最近、西原町で、クメノサクラに劣らず見事に三月に開花する「オオシマサクラ」という珍種を大量に栽培しているという専門家がおられるというということを知り、心中、雀躍しているところです。

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