遺跡「玉御陵(タマウドゥン)」の南側にある養秀会館の北側斜面。そこはいま、雑木雑草が茂って、ハブが生息し、一般の人が立ち入れないほどの荒蕪地となっている。これを那覇市、県、養秀同窓会が一体となって整地整備して、公園化してほしいと、数年前から提案し続けてきた。その甲斐あって、先月から、県土木部と同窓会の合議が始まり、いよいよ本格的に整備事業がスタートすることになった。快哉。ところが、斜面を整備して遊歩道を整える作業がメインとなり、肝心の「一中鉄血勤皇隊を偲ぶ遺跡」という観点が抜けているんじゃないか、と、懸念される傾向にあるので、最後の一中生の一人として、以下、遺跡としての意義が薄れないように、肝心な点を列挙しておきたい。
激烈な沖縄地上戦・地獄のような砲煙弾雨の中を辛くも生き延びた元一中健児隊の痛恨の胸の内。「海邦養秀」の伝統を受け継ぎ、戦後不死鳥のように立ち上がった首里高校の「二度とこの地に戦争の災禍をもたらしてはいけないという平和への強い意志」を永く留めるために、平和祈念資料室が設けられた。このような禍々しい戦を沖縄になぜ引き入れたのか。その歴史的経緯を含めて沖縄地上戦の病根を抉り、戦火に巻き込まれた万余の人々の災難の実態を克明に記録した出版物も少なくない。