映像によるこのような展示は、見る人をして厳粛な気持ちにさせ、平和への希求を改めて高める作用は確かにある。しかし、養秀会館の立地するこの千坪の敷地には、配属将校篠原保司中尉の指導の下、国難に殉ずるとする至誠の命を燃え上がらせつつ、振るい励んだ一中健児らの行動の軌跡が至る所に残されていることを忘れてはならない。急拠構築された地下壕、古参兵の暴虐に耐えた使役の現場、米軍機動部隊からの艦砲射撃による級友の爆死、米軍上陸直前に執り行われ「日本一の卒業式」と島田県知事が評した闇夜の卒業式、沖縄一中鉄血勤皇隊の結成、爆雷を抱えての対戦車肉弾攻撃練習、分隊に分かれて南の戦場に出ていくまでの半年の間に繰り広げられた健児たちの行動の現場が、草に覆われて、放置されている現況を嘆くのは、小生だけだろうか。