1940年(昭和15年)、日本全体が紀元2600年を祝う記念行事に沸いていたとき、一中では、創立60周年の記念行事として学生寮の建設が進んでいた。金城町一番地にあった當山家の敷地4950平方メートルの土地代を含めた総工費4万円は、交友会(現在の同窓会)、父兄会など多くの有志の協力で、確保された。そして、12月9日木の香も新しく木造二階建て600平方メートルの「養秀寮」が完成、落成式が行われた。養秀寮正門の左には「沖縄県立第一中学校養秀寮」、右には「興亜学徒錬成道場」と墨書された看板が掲げられた。その後5年間は、平和時の錬成が続いたが、戦時の荒波がこの寮を襲い、多くの犠牲者を生む修羅場となることを誰も予想できなかった。