沖縄県立首里高等学校:49期 掲示板

No.281 うちなーんちゅの皆様に愛される番組にしたいです

2011/06/01(水) 19:09 - 2 組 名城奈々 ()
49期生の名城奈々です。


只今、nacilという名前で、東京を中心に音楽活動をしております。


この度、東京のFM世田谷で冠番組をもつことになりました。


日本初沖縄専門番組という事で、うちなーんちゅの私と、元ホームチームの与座よしあきで、ゆんたくしながら、沖縄を発信していいきたいです!


たくさんのうちなーんちゅの皆様、沖縄好きの皆様に聴いて頂き、

沖縄の情報や、リクエスト、聴いて頂いた感想など、頂けたら、有難いです。


FM世田谷で、6月2日から
毎週木曜日22時〜23時

『ナシルの島んちゅヂカラ』

世田谷区の皆様→FM83.4MHzへ。


エリア外の皆様→PCからは、http://shimazika.nacil.net


スマートフォンからは http://bit.ly/fmsetagayaへアクセス!

ツイッターは@shimazika


nacilのホームページは、
http://nacil.net


今後とも宜しくお願いします。

No.280 久しぶりの掲示板

2011/05/25(水) 13:51 - 3-5 組 宮城 親一 ()
ご無沙汰しております。 
3-5でバスケ部してました親一です。

2月の田場のこともありつつ、掲示板を見るようになりました。
今回の震災で被災とまでいかずとも皆の生活に影を落としたことが伺われ。
皆の健康と安全を心から祈ります。


ひかりー、元気か? 旦那と仲良くしてるか?
あんま沖縄に帰らんから疎遠になっちゃってるが、
マリオやらぶーしーやら、みんな元気よ。 仲良くしてる。

たまに帰るときくらい捕まえられるように
誰かに連絡して連絡先ぐらいおさえといてくれ。



久高ー、3月はありがとう。 マラソン前日につきあってくれてうれしかったです。
今日 ちょうどマサキと飲むから香典返し渡しながら近況報告してくるわ。

15年ぶりぐらいに会うので
可愛くて若いと噂の嫁さんのことなんかチェックし甲斐があります。



先の3月に会いたかったバスケ部のメンツはみな元気しているか?
皆の活躍に期待しつつ、健康と平和を祈ります。

田場の冥福とご家族の方の癒しと健康を祈り、
震災でお亡くなりになられた方々の冥福と一日も早い復興を願い。 献杯。

No.279 大震災について・1

2011/05/06(金) 10:31 - 3-8 組 M ()
 東日本大震災から間もなく2ヶ月が経過しますが、いまだに津波による被害の凄まじさには言う
べき言葉もないというのが正直なところです。唯一胸をなで下ろすことができるのは、49期生の中
で深刻な被害を被った人はどうやらいないらしいということだけです。

×月×日
 地震発生当日、宮城や岩手の沿岸に押し寄せる津波の映像をテレビで見て、とっさに2004年
のスマトラ沖地震の時の津波映像と勘違いした、という人が少なくない。
 広瀬公巳『海神襲来』(草思社)は、そのスマトラ沖地震によって発生したインド洋大津波の被災
者・生存者たちの証言を丹念に取材したドキュメントである。
 この本でまず驚かされたのは、あの大津波をもたらしたスマトラ沖地震の規模がケタ違いに巨大
なものだったということだ。
「[地震波は]秒速約4キロで地球を少なくとも5周した。USGS[米地質調査所]のケン・ハドナット
博士は、スケートでスピンをする選手が腕組みをして体を小さくすると速く回転ができるのと同じ原
理で、地震によって地球の自転が速くなり、1日の長さが100万分の3程度短くなったと指摘した。
それによると地軸の位置も2センチずれた」
「揺れは1日では終わらなかった。ANU・オーストラリア国立大学は、地震の発生から2週間後に、
1ミリ程度の地球の縦揺れが続いているという研究結果を発表した。地球全体が鐘を突いたときの
ように2週間にもわたって振動を続けていたのである」
 地震の影響が地球全体に及んでいたと知って、しばし茫然とさせられた。津波による被害ばかり
が印象に残っていたが、地震の規模も想像を絶するようなものだったのである。
 さらに驚かされたのは、あの大津波も地球規模の影響をもたらしていたという事実だ。
「タイ・チュラロンコン大学などの研究グループは、海面の上下動で生じた空気の波で、電離層に大
きな電流が生じ、地球を取り巻く地磁気も振動したという研究結果を発表している。電離層の磁界
の中に空気の波が伝わることで1万アンペアの大電流が周期的に生じたという」
 いまさらながら、地震と津波のスケールの大きさに圧倒される思いがする。
 この本で教えられたことはほかにもある。
 「海嘯(かいしょう)」という言葉がある。
 “海がうそぶく”と書いて津波を意味している。
 前々から奇妙な字面(じづら)の言葉だと思っていたが、この本でその意味が初めて分かった。
津波が押し寄せてくる時、まるで海全体がうそぶいているかのような異様な響きが轟くのだという。
海嘯とはその鳴動のことだったのだ。
 海上で津波に遭遇したインドネシアの漁師たちによると、その響きは、「ワーという音」、「ヘリコプ
ターのような大きな音」、「ブルルルと地面を掘る機械のような音」だったという。表現はまちまちだ
が不気味な響きだったことは伝わってくる。三陸で濁流に呑み込まれた人々も、最後の瞬間にこう
した響きを聞いたのだろうか。そんなことを考えていると肌に粟が生じる思いがした。
 この本で印象に強く残ったのが、津波が海岸に押し寄せる瞬間を上空からとらえた衛星写真(こ
の本に掲載されている)にまつわる話である。
 津波で壊滅的被害を出したインドネシアのバンダアチェで取材中だった著者は、人々が一枚の
衛星写真を争うように買い求めているところにでくわす。不思議に思って理由を尋ねてみると、渦を
巻く津波の白波があるアラビア文字を形作っているのだという。
 それはアラビア文字で表記された「アラー」の文字だった。
 もちろん錯覚である。その写真も実はインドネシアではなく、スリランカの西海岸を撮影したもの
だったそうだが、著者は、「津波の計り知れない大きさは神の存在をより偉大なものにしていた」と
記す。人々がその写真から感じ取ったのは神の怒りだったのだろうか、それとも慈悲だろうか。
 なお余談ではあるが、22万の人間が落命するという未曾有の災害だったにもかかわらず、イン
ド洋大津波に関するドキュメントは日本ではほとんど出版されておらず、本書がほとんど唯一のも
のといってよい。日本のジャーナリズムの怠慢ではないかという気がする。 

×月×日
 吉村昭『三陸海岸大津波』(中公文庫)[現在は文春文庫]は、明治29年、昭和8年、昭和30年
(チリ地震津波)と三度の津波災害に見舞われた三陸沿岸の被災史をまとめたものである。200ペ
ージほどの小編というべき作品だが、ページを繰っているうちに、この本に記されている過去の被
災の描写とテレビ画面越しに目にする現在の被災地の光景とが混然となり、既視感(デジャビュ
ー)ともつかぬ奇妙な感覚に襲われた。
この本で惨状が描かれている地名をなぞっていくと、田老村、大槌町、山田町、釜石町…と、い
まとなっては見慣れた地名ばかりである。三陸沿岸が、津波に襲われる度に甚大な犠牲を出しな
がらも復興を繰り返してきた地であることを改めて教えられる。
 この本には、津波で被災した人々の姿が淡々とした筆致で書き留められていて、さながら一場の
群像劇のおもむきがある。印象に残ったものを思い出すままに記す。
 津波の襲来から数日後、ある部落では、家屋の再建のために住民が樹木を切り倒した音が、津
波が押し寄せてきた時の轟音と似ていたことから、津波の再来と勘違いした人々がパニックになっ
た。津波が人々に植えつけた恐怖心は尋常なものではなく、人々が我先に裏山へと殺到したため
に、8歳の男児が圧死したという。転倒して踏みつぶされてしまったのである。
 この時、避難誘導にあたるべき巡査が人を押しのけて一目散に逃げたことが、職務放棄として非
難されたというが、このように醜態をさらす者がいる一方で、宮城県の海岸縁にあった刑務所では、
5人の囚人たちが溺れかけている人々の救助に尽力したという。195人いた囚人のうち生存者は
31人だけだったというから、彼らも九死に一生を得た被災者だった。
 被災直後は警察力も失われ、無法地帯と化した被災地では盗難騒ぎが続出したという。やむに
やまれぬ面もあっただろうが、「窃取を専門にした者も各部落に2、3名はいて、被災後それらの金
銭物品で富裕になる者すらいた」という一文には、やはり言葉を失う。
今回の震災では、三陸地方の各地で伝えられてきた津波にまつわる伝承が多くの人たちの命を
救ったと言われているが、そうした言い伝えが逆に仇となる場合もあった。
 昭和8年の津波の時には、明治29年の津波に遭遇したことのある老人たちから「天候は晴れて
いるし、冬だから津波はこない」と聞かされて、多くの人が胸をなで下ろしていたところを津波に襲
われてしまったという。どうしてそのような誤解が広まったのかはよく分からないが、三陸地方では、
冬と晴天の日には津波は起きないという言い伝えがあり、それが多くの人命を奪うことになってし
まったという。経験を正しく語り継いでいくことの難しさを思い知らされる話である。
 津波による犠牲者に関する記述には、読んでいて絶句させられるものが少なくない。
 明治29年の津波襲来後、生き残った住民と応援に駆けつけた人夫たちは、犠牲者の死体収容
に努めたが、死体の多くが土砂の中に埋もれていたために収容は困難を極めた。
 むやみに掘り起こしても死体は見つからない場合が多かったが、「そのうちに経験もつみ重ねら
れて、死体の埋もれている個所を的確に探し出せるようになった」という。「死体からは、脂肪分が
にじみ出ているので、それに着目した人夫たちは地上に一面に水を流す。そして、ぎらぎらと油の
湧く個所があるとその部分を掘り起こし、埋没した死体を発見できるようになったのだ」という。
 この稿を起こしている最中、被災地では、自衛隊と米軍による集中的な遺体収容作業が行われ
ていた。そのニュース映像を見ながらこの一文を思い出し、慄然とさせられた。
 牧野アイという少女は、昭和8年の津波によって、同居していた家族全員(祖父母、父母、叔母、
二人の妹、弟)を失った。この少女(被災当時、尋常小学校6年生だった)が被災後に書いた作文
を読んだ著者は、本人と面談している。少女のそれからを著者はこう書いている。

  津波によってすべてを失ったアイさんの生家は、破産した。そして孤児となったアイさんは、 
 (略)親戚の家を転々とした。アイさんは成人し、19歳の年には再び田老にもどり翌年教員の荒
 谷功二氏と結婚した。御主人の荒谷氏も、津波で両親、姉、兄を失った悲劇的な過去をもつ人で
 あった。
  荒谷氏とアイさんの胸には、津波の恐ろしさが焼きついてはなれない。現在でも地震があると、
 荒谷氏夫妻は、顔色を変えて子供を背負い山へと逃げる。豪雨であろうと雪の深夜であろうとも、
 夫妻は山道を必死になって駈けのぼる。
 「子供さんはいやがるでしょう?」
  と私が言うと、
 「いえ、それが普通のことになっていますから一緒に逃げます」
  という答えがもどってきた。
  荒谷氏夫妻にとって津波は決して過去だけのものではないのだ。

 この本が出版されたのは昭和45年で、取材当時、荒谷アイさんは49歳だと書かれている。存
命であれば90歳前後だろう。荒谷さん夫婦とその子供(といってもとうに成人に達しているはず)は
無事だっただろうか、と気になった。

×月×日
 クリス・インピー『すべてはどのように終わるのか――あなたの死から宇宙の最後まで』(早川書
房)は出版直後から気になっていた本だが、週刊文春の大震災特集記事で立花隆がこの本を挙げ
ていたので、さっそく手に取ってみた。
 サブタイトルからもうかがえるように、この本は、人間の生物学的な死から宇宙の物理的な死ま
で、およそあらゆるものの終焉がどのようなものであるかを書いたものである。
 いざ読み始めてみるとはじめは散漫な印象を受けたが、後半に入って、地球の終焉、太陽の終
焉、そして銀河の終焉、さらには宇宙の終焉と、対象のスケールが大きくなっていくにつれて、だん
だんと面白くなってくる。著者が元アメリカ天文学会副会長ということもあって、天文学の領域にな
るとがぜん筆が冴えてくるということもあるが、それだけではない。天文学レベルでの事象のスケー
ルの大きさがあまりにも途方もないために圧倒されてしまうのである。
 そうした事象の中で、ひょっとすると人類滅亡につながるかもしれない(この本はそういう現象の
オンパレードだが)のが、超新星爆発にともなうガンマ線バーストである。
 恒星が死ぬといわゆる超新星爆発が起きてブラックホールが誕生するが、その超新星がとりわ
け質量が大きくて高温である場合、ガンマ線の爆風(ガンマ線バースト)が生じるという。
 その爆風は凄まじいもので、「回転が高速である場合、ブラックホールの回転軸に沿って放射線
と高温ガスが噴出し、死にゆく星の表層をもぎとり、対になった宇宙ジェットを光速の99.995パー
セントの速さで宇宙空間に送り出す」という。
 こうした超新星爆発が地球から1000光年の距離で発生し、しかも発射されたビームが運悪く地
球に向かって飛んできたらどうなるのか。著者は「まずはシートベルトを締めること」と書き添えてい
るが、どうやらシートベルト程度では間に合いそうもない。
「[超新星爆発の]火の玉は空の太陽と同じくらい明るく輝くだろう。その一瞬後、大量の高エネル
ギーの放射線が大気に衝突し、大気が燃えあがる。森は焼け落ち、湖や川は沸騰して乾ききり、地
球のそちら側半分は、爆風に襲われて生命が一掃される。衝突の衝撃波により地球全域に1キロ
メートル以上の高さの炎が走るが、地球の裏側では、ひょっとすると海洋の生物の命ならいくらか
は助かるかもしれない。さらに、強烈なガンマ線と紫外線が地球全体のオゾン層を破壊するだろう。
この猛攻撃に耐えられるものがあるとは考えにくい」
 著者によれば、これほどの破滅的な影響をもたらすようなガンマ線バーストが、地球の方向に向
かって起きる確率は20億年に1回くらいしかないというが、それでは枕を高くして寝られるのかと思
いきや、そうそうタカをくくってもいられないらしい。
 地球から8000光年の距離にあるWR104という恒星は、その回転軸がまっすぐ地球を向いて
いるという。この恒星がガンマ線バーストを引き起こすほどの超新星爆発を起こせば、どのような影
響が地球に及ぶのか、まだよく分かっていないらしい。WR104がもたらすかもしれない脅威を指
摘した天文学者の言葉を借りれば、「ライフルの銃口を覗き込むような、ぞっとする感覚をおぼえず
にはいられ」ない話である。
 東日本大震災の烈震、そして瞬く間に地上にあるものを根こそぎにした津波の破壊力の凄まじ
さには、凝然とさせられるばかりだったが、この本を読んでいると、自然の猛威というのはもっとも
っと凄まじいものなのだということが分かる。
 人間という存在の何とちっぽけなことよ、と思わず天を仰ぎたくなる。

No.278 流れ

2011/04/26(火) 00:43 - ひかり ()
同期のみなさん、卒業生のみなさん。震災でなにもなくお元気様でしょうか?

わたしが、20歳の時だったと想いますが、阪神淡路の震災がありました。
日にちは忘れもしない。センター試験の最終の日の夜でした。

いろんなことがおきている今。
今しかできない、大切なことをしておかなくてはと切ないぐらいに感じます。

ご縁のあった人が、交通事故にあってしまったり、長年抱いていた夢を現実のものにしてTVに出ていたり。

無力なわたしに出来ることが、あるのか。とても悲しくなりますが。
今できることを、いまやれることを精一杯する。

あたしが、被災者なら、きっとそう想うはず。

関わった人々が無事でありますように。

No.277 地震

2011/04/15(金) 16:18 - 3-9 組 我喜屋 ()
東京在住の我喜屋です。

震度5という地震を体験し、気が動転して慌てて揺れてる最中に
家を飛び出してしまいました(笑)
冷蔵庫の位置は移動し、マンションの扉は倒れた家具で傷つくしで
地震後は少し大変でした。

が、被災地に比べたら全然?!です。

主人の会社は片方の壁が崩壊?!したらしく
会社が引っ越ししたり。。。都心は大変みたいです。

その後の放射性物質の水道水汚染やら計画停電で
普段とは違う日常を送ってます。

そして毎日のように発生する地震速報に・・・
幼稚園ではたった3時間の午前保育中に3回も避難したとか(*0*)

そろそろ、色々な疲れが出ている家族4人です。。。

他の上京組みは元気なのかなぁー?!(^^)

ではでは

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