沖縄県立首里高等学校:49期 掲示板

No.297 アウシュヴィッツの音楽隊、美貌の密告者、収容所から呼び戻された男

2012/09/14(金) 16:15 - 3-8 組 発達障害かもしれないM ()

×月×日
 シモン・ラックス/ルネ・クーディー『アウシュヴィッツの音楽隊』(音楽之友社)は、アウシュヴィッ
ツ・ビルケナウ第2収容所で、強制労働を課せられていた収容者たちを鼓舞(こぶ)するための音楽
隊に所属していたユダヤ人男性の回想録である。
 ユダヤ人収容者によって編成された音楽隊がアウシュヴィッツにあったことは知っていたが、そ
の当事者による生々しい証言を読んでいると、その不条理さに絶句する思いがする。
 著者の回想は、アウシュヴィッツ収容所に到着してから数日後、譜面台を抱えた数人の男たちの
姿を目撃したところから始まる。その時の心境を著者はこう書いている。
「私は全く混乱していた。この不幸な環境の中で今私が目にしたものは何なのだ。それは譜面台で
はないのか、すなわち音楽の象徴ではないのか、精神の自由と自立の象徴ではないのか。(略)一
体この呪われた場所で演奏される音楽とはどんな音楽なのだ?」
 混乱しながらも、「お前たちの中に音楽家はいるか?」という問いかけに応じ、著者は音楽隊に
志願する。サックスフォン奏者として音楽隊に加わった著者は、一般の収容者とは別天地ともいう
べき境遇(とはいっても、強制労働に駆り出されることもあれば、ひどいリンチにも遭っている)にな
ってからの日常を以下のように描写している。
「私たちの素敵な音楽室は収容所の名士たち、親衛隊員たちの巡礼地となった。私たちの小屋は
毎夜陽気なさわぎであふれかえるようだった。歌もあれば踊りもあり、誕生日がにぎやかに祝われ、
親衛隊員たちは収容者がすすめるブランデーをなめながら大いに楽しむのであった。
 外では火葬場から昼の間は煙があがっているのが見え、夜になると今度はその煙突から出る炎
が空をまっ赤に焦がしていた」
 陽気な音楽と死がつねに隣り合わせという常軌を逸した日々の中で、楽団員たちは様々な人間
像を浮かび上がらせる。この本には印象的な人物描写がたくさん出てくるが、とりわけ、アンドレと
いう無愛想で無口な男(後に楽長になる)が、ある晩、著者を相手に独白する場面などはまるで短
編小説を読んでいるようだ。
 楽団員たちと対峙(たいじ)するナチス親衛隊員たちも様々な顔をかいま見せる。
 ユダヤ音楽を好み、内緒で楽隊にユダヤ音楽を演奏させていたことがバレて左遷されてしまう親
衛隊員。同じ村の出身だと分かったユダヤ人収容者と奇妙な交友関係を結ぶ親衛隊員。大量虐殺
の現場責任者でありながら、著者たちに対してはつねに礼儀正しく、音楽の造詣も深く、楽団員た
ちと一緒に演奏することもあった親衛隊士官。
そういうエピソードを読んでいると、こういう人間たちが躊躇(ちゅうちょ)なしに大量虐殺を実行で
きたことが、にわかには信じられないような気もしてくるが、著者は冷厳な筆致でこう書く。「これほ
ど音楽を愛し、音楽を聴いて涙を流す人間たちがそんなにどこまでも悪を犯し続けられるだろうか。
だがこういう甘い幻想は音楽が終わった瞬間にどこかに吹き飛んでしまう。目の前に立っているド
イツ人は彼の本来の姿にかえっている――怪物に」
 絶滅収容所での悲惨な出来事が延々とつづられるが、次のエピソードには言葉を失った。
「ちょうどフルート奏者のドクターが長々とソロをやっているところで、彼は身も心も演奏に打ち込ん
で吹き続けていた。多分、彼はそうすることで現在の自分の境涯を忘れようとしていたのだ。あまり
に演奏に没頭していたために彼は裸の女たちをのせたトラックの列が外を通りすぎ、火葬場に向か
って走り去っていくのにも気がつかなかった。
 やがて序曲は終わり、フルート奏者は自分の演奏に満ち足りた表情で楽器を置いた。
 トラックは角を曲がってもう見えなくなっていた。
 このトラックにのせられた女たちの群れの中には彼の娘もいた」

×月×日
 ピーター・ワイデン『密告者ステラ』(原書房)は、まさに事実は小説よりも奇なりを地でいくような
本だ。
 この本の主人公は、ナチスによるユダヤ人狩りに協力し、大勢のユダヤ人を死地に追いやった
ステラ・ゴルトシュラークという女性だが、驚いたことに彼女は生粋(きっすい)のユダヤ人だった。
さらに皮肉なことには、彼女は、ナチスが宣伝していたアーリア人種の理想像を引き写したような容
貌(金髪のブロンドに青い瞳)の持ち主でもあった。
 著者のワイデンは、ステラと同じユダヤ系学校に通っていて、ステラとも面識があった。彼女は幼
い頃から人目を引く存在だったという。
 ヒトラーの政権掌握後、ワイデンの家族はからくも米国に出国することができたが、ステラの一家
をはじめ、多くの同窓生がドイツから脱出できなかった。戦後、連合軍の一員としてドイツに駐留し
たワイデンは、ステラがナチスの協力者になり、同胞であるユダヤ人の身柄をナチスに引き渡して
いたという事実を知る。
 戦時中、ドイツ国内には、強制収容所への移送を逃れ、身分を偽って潜伏しているユダヤ人が
いた(水面下に潜む潜水艦になぞらえて、彼らは「Uボート」と呼ばれていた)。彼らを摘発するため
に、ゲシュタポ(ナチ時代の秘密警察)は、ユダヤ人協力者に国内を探索させ、潜伏中のユダヤ人
を発見し、逮捕する任務を与えていた。そして、ステラは、「Uボート」摘発を命じられたユダヤ人の
ひとりだったのである。
 摘発されたユダヤ人の多くが収容所で命を落としたと思われるため、ステラによって身柄を引き
渡されたユダヤ人の数は定かではないが、一説には彼女は2300人の死に関与したとも言われ、
「ブロンドの誘惑するローレライ」などと呼ばれて恐れられた。
 ステラは戦後、ユダヤ人虐殺の共犯者(殺人幇助)として、裁判にかけられる。ユダヤ人虐殺の
罪で裁かれたユダヤ人がいたとは驚きだが、ステラ以外にもナチスのユダヤ人狩りに協力したユ
ダヤ人たちがいて、戦後、ユダヤ人社会にはこうした裏切り者に対する凄まじい憎悪が渦巻いたこ
とがこの本には書かれている。初めて知ることばかりで本当に驚いた。
 ステラはなぜ、同胞をナチスに密告するようになったのか。ワイデンの検証で明らかになるのは、
ステラがひどい拷問を受けていたらしいことや、ナチスがステラの両親を人質にしていたこと(その
後、両親は絶滅収容所に送られ、殺されている)、ステラ自身も、いつ絶滅収容所送りになるか分
からない状態に追い込まれていたという事実だ。また、少数ながら、ステラが見逃して助けたユダ
ヤ人がいたことなども明らかになる。
著者はステラの行為を擁護することは決してないが、断罪することもない。あくまでもステラに対
してフェアであろうとしている。むしろ著者が怒りを滲ませるのは、当時のルーズベルト政権がユダ
ヤ人難民の受け入れを徐々に絞り、最終的には拒んだことだ。米国やその他の国が扉を閉ざした
ことでステラたちは逃げ場を失ってしまった。彼らは見捨てられたのである。
 しかしそれでも、ステラに対する憎悪は強烈で、この本の出版後、ワイデンに対しても抗議の声
が寄せられたという。ステラのことを取り上げたテレビ番組に出演した時には、ホロコーストの生存
者だという人物から、「[ステラを見つけたら撃ち殺すべきであることは]絶対間違いありません――
本を書いたその男も一緒にね」と罵声を浴びせられている。
 ステラに対して許し難い思いを抱いているのは、ステラの親族も例外ではない。ステラにはイボ
ンヌという一粒種の娘がいて、現在はイスラエルに在住している。
 著者の取材に応じたイボンヌは、自分の手で母親を撃ち殺す夢をこれまで何度も見てきたと答
え、「イボンヌという娘は生まれるべきじゃなかった」とまで言う。幼児期を孤児同然に生きることに
なったイボンヌも気の毒ではあるのだが、娘にここまで言われるステラもなんだか不憫(ふびん)で
ある。

×月×日
 ユダヤ人としての民族意識が希薄な人々の中には、ヒトラー政権下のドイツにおいても、自らを
ユダヤ人というよりも、それ以上にドイツ人なのだと考える人々(ステラとその両親がやはりそうだ
った)がいた。
 マイケル・バー・ゾウハーの『ダッハウから来たスパイ』(ハヤカワ文庫)は、ユダヤ人としての民
族的出自を持ちながら、同時に愛国的なドイツ国民でもあったパウル・ファッケンハイムという男の
数奇な物語である。この本もノンフィクションだが、まるで小説のような話だ。
 この本は、絶滅収容所として知られるダッハウ収容所から、ファッケンハイムが釈放される場面
から始まる。当時、中東パレスチナは英国の統治下にあったが、ドイツ国防軍諜報部は、中東に展
開する英国軍の情報を入手するために同地にスパイを送り込む計略を立てていた。そこで潜入工
作員として白羽の矢を立てられたのがファッケンハイムだったのである。
なぜファッケンハイムが選ばれたのか? パレスチナには、欧州からのユダヤ人難民が大量に
流入しており、ユダヤ人であるファッケンハイムがそのなかに紛れ込むことは容易であろう、それに
なにより、熱烈な愛国者であるファッケンハイムは裏切ることはあるまい、と国防軍諜報部は考え
たのである。他方、ファッケンハイムにとっては否も応もなかった。絶滅収容所にとどまれば死以
外にはなかったし、国防軍は高齢の母親の保護も約束したからだ。
 ところが、パレスチナの地に潜入すべく落下傘降下したファッケンハイムは、着地に失敗して無
線機等の機材を全て失ったあげく、イギリス軍に逮捕されてしまう。落下傘降下の経験もない中年
男性に速成の訓練を施しただけで、右も左も分からない地に送り込もうというのが、どだい無理な
話だったのである。
 ファッケンハイムはスパイとして逮捕され、イギリスの軍事法廷で裁かれることになるが、絶滅収
容所から釈放されたユダヤ人が、ドイツ軍の諜報員になったという荒唐無稽な話を信じる者などお
らず、彼は、正体不明の謎の工作員ということになってしまう。
 意想外のどんでん返しの末に裁判は急展開を見せることになるのだが、ファッケンハイムには死
刑判決が下る可能性も大いにあった。愛国心に燃えるドイツ国民として自ら任じていたファッケンハ
イムが、国家によって何度も裏切られ、翻弄される姿は哀れというほかはない。
ファッケンハイムの体験は驚くべきものだが、しかし、この本にはさらに驚くべきことが書かれて
いる。ナチスドイツがユダヤ人を利用しようとしていたのと同じく、ユダヤ人もナチスを利用しようと
していたというのだ。
 パレスチナの地にユダヤ人国家を建設することを目指していたシオニストは、当時、英国と敵対
関係にあった(後にイスラエル首相となるメナハム・ベギンは、英軍へのテロ容疑で指名手配され
た経歴の持ち主)。シオニストの一部急進派(シュテルン・グループ)は、反英軍事闘争にドイツか
らの支援が得られないか、国防軍諜報部に秘密交渉を持ちかけていたという。敵の敵は味方とい
う訳だ。
 その秘密交渉の際、交渉役になった人物がドイツ側に持ち込んだ協定文の案には、以下のよう
な内容が盛られていたという。
「ドイツの公式記録によると、シュテルン組織はナチ・ドイツのパレスチナ征服を反英武装蜂起によ
り援助する用意がある、これに対しドイツはパレスチナにユダヤ人国家を建設することを助け、ヨー
ロッパ系ユダヤ人の同国への輸送の便宜を図ると述べられていた」
 シオニスト急進派グループとナチスドイツそれぞれの思惑が複雑にもつれあっていく様を読んで
いると、中東の地に渦巻く謀略の凄まじさに息を呑む思いがする。
 ホロコーストの渦中に身を置いたユダヤ人といえば、私たちの脳裏にはアンネ・フランクやV・E
・フランクルの名前がすぐに浮かぶが、アウシュヴィッツの楽団員たちやステラ、ファッケンハイムの
ような人々もいたことはあまり知られていない。彼らはいわばアンネやフランクルの陰画のような存
在である。

No.296 自閉症~発達障害

2012/08/08(水) 10:25 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
自分の生活に沈潜する、没社会的になることが全く悪いというのではありません。例えば、読書に励み、思想を深め、家族を愛し、人生の後半を整える。むしろ、高齢者に勧めたいスタイルといえる。でも、いま、全国、否、特に沖縄で、中年の自殺率が最高だという現象を思うとき、ひょっとして自閉的な生活に沈潜している中年世代が増えているのではないか、と、心配するのです。大人の自閉症とも言われる「発達障害」「環境適応障害」も心配です。ちゃんと社会生活を営んでいるようで、相手と心から溶け合っていない、会話している相手の眼を真っ直ぐ見ない。心の小道(ラポール)を互いに持ち得ていない、という、淡白な生活を繰り返していないか。それが、心配なんです。琉大の古い逍遥歌に「友の情けに酔い伏して・・・」という節がありますが、高校時代、友の情けに触れることもなく、そっと、卒業して、安穏な生活を送っていても、中高年になって、やがて、自己否定の傾向に陥る青壮年が少なくないといいます。
趣味を持ちましょう。家族と一緒に、なんらかのヴォランテア活動を始めましょう。ささやかな絆を創りましょう。その一つに、養秀同窓会文化部「養秀園芸サークル」があって、毎月第二・第四日曜日、午後4時からワイワイやるのです。

No.295 エクソシスト、神父とビッグバン、米軍超能力部隊

2012/07/28(土) 18:07 - 3-8 組 M ()

×月×日
 トレイシー・ウィルキンソン『バチカン・エクソシスト』(文藝春秋)は、タイトルからホラー小説と勘
違いされそうだが、立派なノンフィクションである。しかし、プロローグや本文で詳細に描写される悪
魔祓いの場面は、ほとんどホラー小説そのものといってよい。
「われ汝に命ず、サタンよ! 神の僕(しもべ)であるカテリーナから出てゆけ!」
「このマヌケな司祭め! もうやめろ!」
「われらを癒したまえ、主よ! 彼女を癒したまえ、主よ!」
「おれのことにはかまうな。この女は決して癒えない! 無駄だ。去れ! この女は決して癒され
ん!」
「彼女を癒したまえ、主よ! われらのために祈りたまえ!」
「やめろ、やめろ、やめろ!」
 これはエクソシストと悪魔憑きの女性とのやり取りで、著者の目の前で交わされたという。
 この本は、米ロサンゼルス・タイムズ紙のローマ支局長である著者が、実在のエクソシストと悪魔
祓いを受けている人々を取材したものだ。際物(きわもの)めいたテーマだけに半信半疑で読み始
めたのだが、それでも冒頭からすっかり面食らってしまった。
 著者によれば、「それぞれのエクソシストのスタイルはさまざまだ。悪魔祓いの仕事に懐疑的な
者もいる。悪魔祓いは最後の最後に頼るべき手段だと考え、儀式のあり方について論争している
者もいる。さらには、薬剤師がアスピリンを売るかのように淡々と悪魔祓いを行う者もいる」という。
 著者とエクソシストとのやり取りを読んでみると、たしかに、悪魔の実在を確信している者もいれ
ば、自分がやっていることは精神科医に委ねるべき事柄ではないかと疑問を抱いている者もいて、
エクソシストにもいろいろな意見の持ち主がいることが分かる。
 それにしても、エクソシストが存在するということは、それだけ悪魔憑きになっている人々がいる
ということである。中世の暗黒時代ならいざ知らず、なぜそんなに悪魔憑きになる人間がいるのだ
ろうか。妻が悪魔祓いを受けている男性が口にした言葉(「あいつが狂ったわけじゃなくてほんとに
よかった」)に重大なヒントが込められていた。
 著者によれば、この夫婦が住むイタリア南部では、精神病は耐えられないほどの恥辱と考えられ
ているという。つまり、悪魔憑きとは、基本的には精神的な病理現象なのだが、それを認めたくない
(受け入れない)社会風潮が強いために、それがもっぱら悪魔憑きという形でとらえられている、と
いうことらしい。この本でも、悪魔憑きは、解離性障害(いわゆる多重人格)などで説明が可能であ
ることが指摘されている。
 ただし、著者はそうした懐疑論で悪魔憑きを一刀両断にはしていない。悪魔憑きという現象につ
いて性急に結論を下すことなく、著者はいろいろな観点から取材と考察を重ねていく。
 その過程で、イエスが悪魔祓いを行ったという伝承から中世の魔女狩りにまで及ぶキリスト教の
歴史、精神医学面からの様々な分析、悪魔崇拝カルトによる異常な殺人事件が起きたり、自分は
悪魔憑きだと訴える人々が増えている現代イタリアの病んだ世相など、エクソシストによる悪魔祓
いというテーマから派生する形で様々なことが見えてくる。読んでみると分かるが、この本はなかな
か裾野の広い内容になっている。
 驚くことばかりだが、この本でもっとも驚かされたのは、エクソシストに対するバチカンの姿勢が、
必ずしも排斥的ではないことだ(ただし、バチカンから破門されたエクソシストもいる)。前法王ヨハ
ネ・パウロ2世が悪魔祓いを行ったことが3回あるというのも驚きだが、現法王のベネディクト16世
が、「わたしはあなたがたを激励します。あなたがたはつねに司教に見守られ、カトリック教徒の祈
りに支えられ、教会のために重要な聖職を追求しています」と、エクソシストのグループに向けたメ
ッセージを出しているという話には、本当にびっくりさせられた。

×月×日
 こちらもカトリックの神父に関する本だが、ジョン・ファレル『ビッグバンの父の真実』(日経BP
社)が面白い。
 カトリックの神父とビッグバンと何の関係があるの? と首を傾げる人もいるかもしれない。
 本書の主人公であるジョルジュ・ルメートルは、れっきとしたカトリックの神父であると同時に、現
在のビッグバン理論の基礎を打ち立てた、これまたれっきとした物理学者なのだ。
 アインシュタインの相対性理論の方程式に計算違いを見つけ、それを訂正したフリードマンとい
う物理学者がいる。フリードマンによって修正された方程式を用いて、宇宙は膨張しているはずだ
という解を導いたのがルメートルだった。しかし、ルメートルとは別にフリードマン本人も同様の解
にたどりついていたため、ビッグバン理論定立の糸口となった相対性理論の訂正は、もっぱらフ
リードマンの業績として紹介されることが多く、ルメートルの名前は蔭に隠れがちだった。
 当時は定常宇宙論が定説だったから、宇宙が膨張することなどあろうはずがないと考えられて
いた。アインシュタインは「膨張する宇宙」という理論的帰結に強い拒絶反応を示し、フリードマンの
指摘を一度は黙殺しようとする。計算の誤りを認めざるを得なくなると、わざわざ「宇宙項」と呼ばれ
る項目を方程式に挿入して、宇宙が膨張しないように理論のほうを修正してしまうことまでした。
 アインシュタインが膨張宇宙論を頑強に拒んだのは、宇宙には始まりがあるという観念が宗教的
な色彩を帯びることへの忌避があったといわれる。アインシュタインのビッグバン理論へのわだか
まりは相当なもので、この本によると、ルメートルと初めて対面した時、アインシュタインは「君の計
算は正しいが、君の物理は忌まわしい」と言い放ったという。
 ところが、天空の星々が地球から急速に遠ざかっているという観測結果によって、フリードマンや
ルメートルの主張が正しかったことが裏づけられ、アインシュタインは、宇宙項挿入を「人生最大の
失敗だった」と言って白旗を掲げることになる。そうした経緯があって、ルメートルはやがて「ビッグ
バンの父」と呼ばれるようになったという。
 本来であれば、ルメートルは科学界のヒーロー(なにしろ、あのアインシュタインの鼻を明かした
のだから)になってもおかしくなかったはずだが、黒衣の僧服に身を包みながら科学者として生きる
ことは決して楽な道のりではなかった。
 そのことを象徴的に示しているのが、1951年、当時のローマ法王が発表した声明によって、科
学者としてのルメートルの立場が台無しにされかけた一件だ。
 その声明では、ビッグバン理論によって、聖書に記された天地創造が科学的にも証明されたの
だ、と法王が認識していることが暗にほのめかされていた。この法王声明が出されたのは、ビッグ
バン理論がようやく科学界でも受け入れられ始めた矢先のことで、ルメートルにとっては大変な打
撃となってしまう。
「これ[法王の声明]を聞いてルメートルは怒り心頭に発してしまった。そして、それ以来亡くなるそ
の日まで、この出来事――失態というほかなかった――は、大勢の科学者仲間(略)が抱いていた
疑念を実証してしまったのだという思いを抱きつづけたのである。その疑念とは、宇宙は超高密度
の起源から膨張して生まれたのだという理論をルメートルが思いついたのは、物理学よりも信仰に
よって刺激されたことがきっかけなのだから、ビッグバン理論に信憑性がないのも当然だ、というも
のだ」
 ルメートル本人は、信仰と科学を混同するようなことは慎重に避けていた――たとえば、「創造」
という誤解を招きかねない言葉は決して用いなかった――のだが、周囲の誤解と偏見には終生悩
まされ続けた。ルメートルが、科学界と宗教界双方の無理解によって振り回される様子は、読んで
いて実に気の毒である。
 世の中には二足のわらじを履いた人間がいるものだが、ルメートルほど大きなわらじを履いた人
は珍しいに違いない。

×月×日
 科学万能のこの御時世にエクソシストでもあるまいと思うが、ジョン・ロンスン『実録・アメリカ超能
力部隊』(文春文庫)を読むと、最新のハイテク兵器で武装した米軍組織のなかでもオカルトめいた
ことが行われていたという事実に驚嘆させられる。
 なんと、超能力によって敵の力を粉砕することを目的とした超能力部隊が、米陸軍に存在してい
たというのだ。部隊の名称は「第1地球大隊」。なんともそれらしい部隊名である。
 超能力部隊は、米陸軍特殊部隊の拠点であるフォート・ブラッグ基地内で密かに創設され、その
存在は、特殊部隊関係者の間でも一部にしか知られていなかったという。部隊員たちは、敵の考え
ていることを読み取ったり、外から建物の内部を透視したり、手を触れずに相手の心臓を止めたり
することを訓練していた。
 9.11後、アメリカの情報機関が対テロ戦争のために超能力者をリクルートしているという情報
を耳にした著者は、関係者を取材しているうちにその部隊の存在にぶち当たる。取材をさらに進め
てみると、超能力部隊員のなかには、訓練の甲斐あって(?)、にらみつけただけで山羊を殺すこと
ができる者がいた、という驚愕すべき話が飛び出す。
 本当ににらみつけただけで山羊を殺すことができたのか? その真偽を確かめるべく、著者は
超能力部隊に関わった人々を片っ端から取材して歩くのだが、その道中、仲間由紀恵主演のドラ
マ『トリック』にでも出てきそうな胡散(うさん)臭い面々が次々に登場する(スプーン曲げの超能力
者ユリ・ゲラーも出てくる)。そうした面々と著者の珍妙なやり取りは読んでいて笑える。
 この本を読んでいて思わずのけぞりそうになるのは、米国との関係が悪化した中米パナマのノ
リエガ将軍を追跡するために、超能力部隊が投入された時のエピソードである。
 超能力スパイが命じられたのは、「ノリエガがパナマ・シティーのどの屋敷のどの部屋に滞在して
いて、そこでなにを考えているのかを透視する」ことだった。超能力スパイの透視の結果を確認す
べく、別の工作員(超能力者ではない)がノリエガが潜伏しているとされた建物に潜入しようとしたの
だが、「隠密潜入作戦を嗅ぎつけ」た番犬に吠えつかれ、作戦は失敗したという。
 超能力者なら番犬に気づけよ、とツッコミを入れたくなるが、ノリエガのほうでも、自分に害を与え
そうな人物の名前を書いた紙片を靴の中に入れて護符にしたり、お抱えの呪術師に護身のための
十字架を立てさせたり、呪術の力によって米国から我が身を守ろうとしていたそうだから、どっちも
どっちといったところだろうか。
 この本では、超能力部隊創設の旗振り役となった軍人たちの横顔が詳しく描かれているが、彼
らが、超能力軍隊の創設という奇妙奇天烈(きてれつ)な考えに囚われるようになった経緯が面白
い。彼らに共通しているのは、ベトナム戦争での挫折が大きなトラウマになっていることだ。
 ベトナム戦争後、ヒッピー・カルチャーとでも言うべきニューエイジ・ムーブメントが米国社会に広
まった。超越瞑想法なるものがブームとなり、深い瞑想状態に入るためにLSDなどのドラッグが使
われたことで知られるが、超能力部隊創設に携わったある陸軍少佐は、米軍を精神的に強靱な組
織に生まれ変わらせるために、こうしたニューエイジ・ムーブメントに含まれるスピリチュアルな力を
軍隊に導入する必要があると考えるようになったという。
 ニューエイジ・ムーブメントと軍隊は水と油のようなものだが、ベトナム後遺症が、本来ならば結
びつきそうもない両者を結び合わせたという訳だ。ベトナム体験が、いかに根深いレベルで米国社
会に傷を負わせたかがうかがい知れる。
この本では、イラク占領時の一大不祥事である捕虜虐待事件についても、一風変わった分析が
開陳されている。大音量の音楽を一日中聞かせたり、点滅する強力なライトの光を浴びせることで、
物理的な手段に訴えることなく、内面的(精神的)に敵の抵抗力を奪い取るという手法は、軍が超
能力部隊の経験から編み出した尋問方法ではないか、と著者は推測しているのだ。
 その辺の推理はあまり説得力がないと私は思うが、超能力部隊の元関係者たちは、あれは自分
たちがやろうとしていたことを換骨奪胎したものだと言う。あるいはそうなのかもしれない。
 アメリカという国が相当に風変わりな一面を持った国であることを教えられる一冊である。

No.294 文学から読む大震災、アラブの春の底流、陸軍潜水艦部隊

2012/06/08(金) 13:32 - 3-8 組 M ()
×月×日
 東日本大震災から1年が経過したあたりからすっかりワンパターン化してしまった震災報道には
飽き飽きさせられるばかりだ。そんななかでいろいろと考えさせられたのが、外岡秀俊『震災と原発
 国家の過ち』(朝日新書)である。
 著者の外岡は、元朝日新聞東京本社編集局長という肩書きの持ち主で、現在はフリージャーナ
リスト(昨年の震災直後に朝日新聞を退職)として健筆をふるっている人物だが、そうした経歴とは
別に、学生時代に発表した小説『北帰行』で文藝賞を受賞した「作家」の顔も持つ。
 「文学で読み解く3・11」とサブタイトルにあるように、この本は、津波と原発事故に直撃された被
災地で著者が目にした情景、耳にした被災者たちの声をタテ糸に配し、カミュの『ペスト』、カフカの
『城』、島尾敏雄の『出発は遂に訪れず』などの文学作品をヨコ糸にして、著者の考察を織り上げて
いったルポである。
 このようなスタイルのルポでは、書き手が過度に文学的な感興に浸りすぎると現実との接点が薄
くなってしまうし、書き手の文学的感性が半端なものだと中学生の読書感想文もどきになってしま
いかねない。それだけに書き手の力量がもろに問われることになる。
 この本の著者の場合は、ジャーナリストの視線と作家の視線がうまく撚(よ)り合わさったことで、
ありきたりの震災報道とは一線を画した、読み応えのある作品になっている。
 この本を読みながら印象に残ったアナロジーはいくつもあるが、もっとも強く印象に残ったのは、
カフカの小説『城』に絡めて福島第1原発事故を考察した部分だ。
 『城』のあらすじをざっと紹介しておく。
 ある城の城主に雇われた測量士Kがその城下町にやって来る。城は手を伸ばせば届きそうなほ
ど近くに見えるのだが、どうしても城に通じる道が見つからない。Kが城に電話をかけると、お前は
もう来なくてもよいといわれるが、それと前後して、貴殿を測量士として召し抱えることになったとい
う通知が城から届けられる。その後もKは城に翻弄され続ける。
 城に招かれながら、城にたどりつくことができないKと、Kを迎え入れながら、Kを拒み続ける城
との間で展開される終わりのない不条理劇。
 この小説を読み解くキーワードとして、著者は、ダブルバインドという文化人類学の理論を引く。
ダブルバインドとは、「一方で禁止の指示を出し、別の次元でその指示と相反する指示を出すため
に、身動きのできない状態に囚われる」ことを指す。
 そして、進むに進めず、退くに退けず、ダブルバインドによってがんじがらめになっていくKの姿
に、福島の避難民の姿をオーバーラップさせる。著者はいう。
「考えてみれば、『緊急時避難準備区域』という言葉自体が、『ダブルバインド』にほかならない。一
方では『平常通り生活してよろしい』といいながら、他方では、『緊急時の避難に備えなくてはならな
い』という」
「この『ダブルバインド』の言辞は、放射能にかかわるさまざまな政府発表に共通している。『異常な
量だが、今のところ、ただちに健康には影響がない』という表現は、『異常』という言葉と、『健康に
は影響がない』という言葉が正反対のベクトルを示し、しかも、明確な責任を伴う指示がない。人々
は、城に入ることも、村から立ち去ることもできず、困惑しつつ立ちすくむことしかできない」
 ありきたりなことを言っているだけだと思う人もいるだろうが、私は、外岡のこの本を読んだ前と
後では、東日本大震災という出来事がかなり違って見えてくるようになった。
 外岡はこの本と前後して、『3.11 複合被災』(岩波新書)という本も上梓(じょうし)していて、
こちらは総合的な視点から東日本大震災を検証したものになっている。
 併読してみるとつくづく感じさせられるが、たったひとりのジャーナリストでもこれだけの重量感の
ある仕事ができるのである。それに比べ、大手メディアが毎日、飽きもせずに繰り返している平板
な震災報道(なかでもテレビがひどい)は一体何だ、と毒づきたくなる。

×月×日
 ムバラク退陣後のエジプトでは大統領選をめぐるゴタゴタが続いており、内戦が一応は終息した
リビアにも安定化の兆しはまだみえない。堅牢(けんろう)な独裁体制が続いてきたシリアでは、民
主化要求への弾圧による流血事態が続いている。
 中東に大変革をもたらした〈アラブの春〉とは一体何だったのだろうか?
 イラク戦争前にまとめられた本(2002年刊行)だが、脇祐三『中東 大変貌の序曲』(日本経済
新聞社)を読むと、〈アラブの春〉の背景がよく理解できる。実はこの本の執筆当時から、中東各国
では若者たちの不満が爆発寸前になっていて、各国政府もそれを無視できない状態になっていた
のである。
 長らく中東をウォッチしてきた著者は、日経のベテラン記者らしく、中東各国の頭痛のタネとなっ
ている不安定要素の多くが経済的問題であることを解き明かしていく。
 中東に大変貌をもたらしている要因としてまず挙げられるのは、急激な人口増加とそれにともな
う若齢化社会の到来だ。少子高齢化で悩む日本とは逆に、中東では、1970年から95年までの2
5年間で人口が倍増するという極端な人口増加が進み、特に若年層が急激に膨張した。それによ
ってもたらされたのが、若年層の深刻な失業問題だった。
 最初期に騒乱が起きたバーレーンについて、スンニ派とシーア派の宗派対立が原因だという解
説をよく耳にした。それは間違いではないが、宗派対立の根っこにあるのはこうした雇用問題(経済
問題)なのである。
 バーレーンでは94年から騒乱事件が頻発してきた。著者によれば、「スンニ派の王家、首長家
が統治するサウジアラビアやバーレーンでは、シーア派住民は軍への入隊や警察への就職が難
しく、一般の公務員になる場合も差別されがち。だから、産油国経済が不況色を強めると、真っ先
に深刻な雇用問題に直面した。政治権力と宗派の問題が背景にあるとはいえ、騒乱につながった
最大の不満の源は雇用だ」という。
 こうした湾岸産油国の政府関係者の間では、90年代当時から、若者の雇用問題はいつ炸裂し
てもおかしくない「時限爆弾」だと懸念されていたという。〈アラブの春〉は、その時限爆弾がついに
爆発したことによって引き起こされたのである。
 メッカ、メディーナのイスラム二大聖地を擁するサウジは、宗教教育に力を入れ、国内の大学で
は神学部の定員数も多いが、神学部生は一般学生以上に就職難に直面している。その結果、「イ
スラムを専攻した若者が職を得られず、イスラムの論理によって不満を世の中に訴える図式にもな
りやすい。とはいえ、イスラム教の振興を掲げるサウジ政府が、神学部の定員を減らすわけにもい
かない」というジレンマを抱えているという。サウジでは、近年、イスラム原理主義の台頭が言われ
るが、その背景にも実は雇用問題が影を落としているらしい。
 人口増加と軌を一にして深刻化してきたのが、国内のインフラ不足と財政悪化だ。
 中東諸国といえば潤沢(じゅんたく)なオイルマネーで潤っているイメージが強いが、80年代以降
の石油価格の低迷、湾岸戦争後の軍事予算の増大などから各国の財政状態は悪化の一途をた
どり、サウジの財政状態は日本と同じくらいひどい状態になっていた。
 就職難によって地方から都市部への急激な人口移動が起きたが、膨大なオイルマネーが流入
した時代に国内のインフラ投資を怠っていたことが祟り、都市部に住む人々の間には、たちまち経
済格差が生じてしまったという。
 国内経済の活性化のため、中東各国は、石油産業に依存する政府主導型経済から、民間主導
型経済への転換に踏み切ったが、そうした流れのなかで急速に普及したのがインターネットだった。
今回、そのインターネットが体制を揺るがす原動力になったのは実に皮肉な結果である。

×月×日
 軍事というものは突きつめていけばリアリズムに帰するはずなのだが、太平洋戦争当時の日本
軍部にはそのリアリズムが根本的に欠けていた。
 旧日本軍の非合理的体質にはもう驚かないつもりでいたが、土井全二郎『陸軍潜水艦』(光人社
NF文庫)を読みながら、当時の軍部はこんなバカなことまでやっていたのか、と開いた口が塞がら
なかった。なにしろ、海軍にれっきとした潜水艦部隊がありながら、陸軍が独自に潜水艇を建造し、
独自の潜水艇部隊を編成していたというのだ。
 陸軍が潜水艇建造に踏み出すきっかけとなったのは、ガダルカナル島での惨敗だったという。
 よく知られているように、ガダルカナルの敗因はまさしく補給戦での敗北だった。制海権を失った
日本海軍は洋上からの補給路を寸断されてしまい、ガダルカナル島に展開する陸軍部隊は、米軍
との戦闘そのものよりも飢餓で壊滅状態に陥った。ガダルカナルは「餓島」と呼ばれるほどの惨状
となった。
 すでに太平洋各地に部隊を配置していた陸軍は、ガダルカナルのような事態が再び起きるかも
しれないと危機感を募らせたが、海軍からの十分な支援協力が得られなくなっていた。
 補給任務に赴いた潜水艦は撃沈される危険性が高く、海軍潜水艦部隊では、陸軍の補給のた
めになぜ自分たちが犠牲にならなければならないのかという不満が高まっていたからだ。また、陸
軍が補給の実施をせっついたため、陸軍はガダルカナルでの敗北の責任を海軍に押しつけるつも
りか、という感情的な反発も海軍にはあったという。戦争そっちのけで陸軍と海軍は対立していたの
である。
 そのため、陸軍は、自前の洋上補給手段を入手するしかないと考えるようになる。米軍の哨戒線
をかいくぐり、各地に散在する陸軍部隊に補給を実施するには、やはり潜水艦しかないという判断
から、急遽、陸軍部内に潜水艇部隊が編成されることになったという。
 苦心惨憺の末に建造された潜水艇――正式名称は陸軍潜航輸送艇――は、最大潜航深度が
100メートルで、コメだけなら24トン(2万人の兵隊の1日分食糧に相当)の積み込みが可能だっ
た。航行速度は時速8キロ(成人男性の歩行速度が時速4キロ程度だという)という鈍足で、武装は
戦車砲を改造したものが1門のみ。潜望鏡だけはどうしても陸軍で製作することができず、海軍に
交渉して提供してもらったという。
 潜水艇建造にあたっては、海軍に遠慮して造船場は使わず(海軍への情報漏れを警戒してもい
た)、民間のボイラー工場や機関車工場に協力させたというが、戦車の製造をわざわざ一時中断し、
戦車工場でも機材を製造したという。どこの世界に戦車の生産を後回しにして潜水艦建造に精を
出す陸軍があるだろうか。溜息が出るような思いがする。
 この本は、潜水艇建造に奔走した陸軍の技術者や、操船経験はもちろん、潜水艦に関する知識
もゼロからスタートした潜水艇部隊員の証言で構成されている。そのなかには、特務機関での勤務
経験を持つある将校が、「貴官は次はモグるんだぞ」と言われ、てっきり敵地への潜入工作を命じ
られるものと思っていたら、潜水艇乗り組みを命じられ、本当に潜るのだと知って仰天したという、
ほとんど笑い話のようなエピソードもある。陸軍潜水艇部隊が第一線に投入されてからも、その存
在を知らされていなかった海軍の艦艇から砲撃されたり、米軍の潜水艦だと勘違いした輸送船に
体当たりされたこともあった。
 関係者たちの苦労話を読んでいると、当時の日本人の器用さというか、火事場の馬鹿力的な対
応能力の高さにはほとほと感心させられるが、その反面、現場レベルのこういう能力の高さをもっ
とまともな方向で活かせなかったのか、と暗澹たる思いがしてくる。

【追記】 比嘉玉緒さんのメモリアル・コンサート開催のお知らせを目にして、故人の遺徳の深さに 思うところがありました。多くの良き友人に恵まれてうらやましい限りです。
  また、3-8の瑞慶覧長由殿、激励の言葉(?)、ありがとうございます。今後も精進する所存 です。 

No.293 掲示板、初めて見ました

2012/05/29(火) 23:43 - 3-8 組 瑞慶覧長由 ()
今日、キャッスルで行われた養秀同窓会の交流会参加しました(家業が印刷屋で同窓会から仕事もらっている関係もありつつ)。
自分が何期生なのかも曖昧なんで、ネットで「養秀同窓会」調べてたら、この掲示板発見しました。学生時代知り合い少ないですが、それでも知った名前あり、すごく懐かしい想いで掲示板読んでいます。
3-8のM氏、ご無沙汰です。相変わらずというか格段に鋭くなった書評、すごく懐かしいです。これからも続けて下さい。

さて、同窓会の交流会は総勢350名余参加という、盛大なものでした。会場内には知った顔が無く(というか、学生時代からの悪い性格で、人見知り+消極的なので隅っこにずっと座りっぱなしだったのが原因かも)、終了後早々に会場を立ち去ったのですが、その中で印象的だったのは「20日会(はつかかい)」という戦時中に一中に在籍していたおじいちゃん達(80歳くらい)の歌でした。
舞台上で、一中の応援歌という物を3曲くらい、一中旗を振りながら、すごくパワフルに、滑稽に歌っていたのですが、当時の一中学徒と同期で、戦争を生き延びてきた先輩方だと想うと、しみじみと感慨深いものありました。

それに影響されて、躊躇しましたが、とりとめも無いこと投稿しています。

あと、最後に同期生の方の訃報、掲示板で知りました。ご冥福をお祈り申し上げます。

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