2012/09/14(金) 16:15 - 3-8 組 発達障害かもしれないM (男)
×月×日
シモン・ラックス/ルネ・クーディー『アウシュヴィッツの音楽隊』(音楽之友社)は、アウシュヴィッ
ツ・ビルケナウ第2収容所で、強制労働を課せられていた収容者たちを鼓舞(こぶ)するための音楽
隊に所属していたユダヤ人男性の回想録である。
ユダヤ人収容者によって編成された音楽隊がアウシュヴィッツにあったことは知っていたが、そ
の当事者による生々しい証言を読んでいると、その不条理さに絶句する思いがする。
著者の回想は、アウシュヴィッツ収容所に到着してから数日後、譜面台を抱えた数人の男たちの
姿を目撃したところから始まる。その時の心境を著者はこう書いている。
「私は全く混乱していた。この不幸な環境の中で今私が目にしたものは何なのだ。それは譜面台で
はないのか、すなわち音楽の象徴ではないのか、精神の自由と自立の象徴ではないのか。(略)一
体この呪われた場所で演奏される音楽とはどんな音楽なのだ?」
混乱しながらも、「お前たちの中に音楽家はいるか?」という問いかけに応じ、著者は音楽隊に
志願する。サックスフォン奏者として音楽隊に加わった著者は、一般の収容者とは別天地ともいう
べき境遇(とはいっても、強制労働に駆り出されることもあれば、ひどいリンチにも遭っている)にな
ってからの日常を以下のように描写している。
「私たちの素敵な音楽室は収容所の名士たち、親衛隊員たちの巡礼地となった。私たちの小屋は
毎夜陽気なさわぎであふれかえるようだった。歌もあれば踊りもあり、誕生日がにぎやかに祝われ、
親衛隊員たちは収容者がすすめるブランデーをなめながら大いに楽しむのであった。
外では火葬場から昼の間は煙があがっているのが見え、夜になると今度はその煙突から出る炎
が空をまっ赤に焦がしていた」
陽気な音楽と死がつねに隣り合わせという常軌を逸した日々の中で、楽団員たちは様々な人間
像を浮かび上がらせる。この本には印象的な人物描写がたくさん出てくるが、とりわけ、アンドレと
いう無愛想で無口な男(後に楽長になる)が、ある晩、著者を相手に独白する場面などはまるで短
編小説を読んでいるようだ。
楽団員たちと対峙(たいじ)するナチス親衛隊員たちも様々な顔をかいま見せる。
ユダヤ音楽を好み、内緒で楽隊にユダヤ音楽を演奏させていたことがバレて左遷されてしまう親
衛隊員。同じ村の出身だと分かったユダヤ人収容者と奇妙な交友関係を結ぶ親衛隊員。大量虐殺
の現場責任者でありながら、著者たちに対してはつねに礼儀正しく、音楽の造詣も深く、楽団員た
ちと一緒に演奏することもあった親衛隊士官。
そういうエピソードを読んでいると、こういう人間たちが躊躇(ちゅうちょ)なしに大量虐殺を実行で
きたことが、にわかには信じられないような気もしてくるが、著者は冷厳な筆致でこう書く。「これほ
ど音楽を愛し、音楽を聴いて涙を流す人間たちがそんなにどこまでも悪を犯し続けられるだろうか。
だがこういう甘い幻想は音楽が終わった瞬間にどこかに吹き飛んでしまう。目の前に立っているド
イツ人は彼の本来の姿にかえっている――怪物に」
絶滅収容所での悲惨な出来事が延々とつづられるが、次のエピソードには言葉を失った。
「ちょうどフルート奏者のドクターが長々とソロをやっているところで、彼は身も心も演奏に打ち込ん
で吹き続けていた。多分、彼はそうすることで現在の自分の境涯を忘れようとしていたのだ。あまり
に演奏に没頭していたために彼は裸の女たちをのせたトラックの列が外を通りすぎ、火葬場に向か
って走り去っていくのにも気がつかなかった。
やがて序曲は終わり、フルート奏者は自分の演奏に満ち足りた表情で楽器を置いた。
トラックは角を曲がってもう見えなくなっていた。
このトラックにのせられた女たちの群れの中には彼の娘もいた」
×月×日
ピーター・ワイデン『密告者ステラ』(原書房)は、まさに事実は小説よりも奇なりを地でいくような
本だ。
この本の主人公は、ナチスによるユダヤ人狩りに協力し、大勢のユダヤ人を死地に追いやった
ステラ・ゴルトシュラークという女性だが、驚いたことに彼女は生粋(きっすい)のユダヤ人だった。
さらに皮肉なことには、彼女は、ナチスが宣伝していたアーリア人種の理想像を引き写したような容
貌(金髪のブロンドに青い瞳)の持ち主でもあった。
著者のワイデンは、ステラと同じユダヤ系学校に通っていて、ステラとも面識があった。彼女は幼
い頃から人目を引く存在だったという。
ヒトラーの政権掌握後、ワイデンの家族はからくも米国に出国することができたが、ステラの一家
をはじめ、多くの同窓生がドイツから脱出できなかった。戦後、連合軍の一員としてドイツに駐留し
たワイデンは、ステラがナチスの協力者になり、同胞であるユダヤ人の身柄をナチスに引き渡して
いたという事実を知る。
戦時中、ドイツ国内には、強制収容所への移送を逃れ、身分を偽って潜伏しているユダヤ人が
いた(水面下に潜む潜水艦になぞらえて、彼らは「Uボート」と呼ばれていた)。彼らを摘発するため
に、ゲシュタポ(ナチ時代の秘密警察)は、ユダヤ人協力者に国内を探索させ、潜伏中のユダヤ人
を発見し、逮捕する任務を与えていた。そして、ステラは、「Uボート」摘発を命じられたユダヤ人の
ひとりだったのである。
摘発されたユダヤ人の多くが収容所で命を落としたと思われるため、ステラによって身柄を引き
渡されたユダヤ人の数は定かではないが、一説には彼女は2300人の死に関与したとも言われ、
「ブロンドの誘惑するローレライ」などと呼ばれて恐れられた。
ステラは戦後、ユダヤ人虐殺の共犯者(殺人幇助)として、裁判にかけられる。ユダヤ人虐殺の
罪で裁かれたユダヤ人がいたとは驚きだが、ステラ以外にもナチスのユダヤ人狩りに協力したユ
ダヤ人たちがいて、戦後、ユダヤ人社会にはこうした裏切り者に対する凄まじい憎悪が渦巻いたこ
とがこの本には書かれている。初めて知ることばかりで本当に驚いた。
ステラはなぜ、同胞をナチスに密告するようになったのか。ワイデンの検証で明らかになるのは、
ステラがひどい拷問を受けていたらしいことや、ナチスがステラの両親を人質にしていたこと(その
後、両親は絶滅収容所に送られ、殺されている)、ステラ自身も、いつ絶滅収容所送りになるか分
からない状態に追い込まれていたという事実だ。また、少数ながら、ステラが見逃して助けたユダ
ヤ人がいたことなども明らかになる。
著者はステラの行為を擁護することは決してないが、断罪することもない。あくまでもステラに対
してフェアであろうとしている。むしろ著者が怒りを滲ませるのは、当時のルーズベルト政権がユダ
ヤ人難民の受け入れを徐々に絞り、最終的には拒んだことだ。米国やその他の国が扉を閉ざした
ことでステラたちは逃げ場を失ってしまった。彼らは見捨てられたのである。
しかしそれでも、ステラに対する憎悪は強烈で、この本の出版後、ワイデンに対しても抗議の声
が寄せられたという。ステラのことを取り上げたテレビ番組に出演した時には、ホロコーストの生存
者だという人物から、「[ステラを見つけたら撃ち殺すべきであることは]絶対間違いありません――
本を書いたその男も一緒にね」と罵声を浴びせられている。
ステラに対して許し難い思いを抱いているのは、ステラの親族も例外ではない。ステラにはイボ
ンヌという一粒種の娘がいて、現在はイスラエルに在住している。
著者の取材に応じたイボンヌは、自分の手で母親を撃ち殺す夢をこれまで何度も見てきたと答
え、「イボンヌという娘は生まれるべきじゃなかった」とまで言う。幼児期を孤児同然に生きることに
なったイボンヌも気の毒ではあるのだが、娘にここまで言われるステラもなんだか不憫(ふびん)で
ある。
×月×日
ユダヤ人としての民族意識が希薄な人々の中には、ヒトラー政権下のドイツにおいても、自らを
ユダヤ人というよりも、それ以上にドイツ人なのだと考える人々(ステラとその両親がやはりそうだ
った)がいた。
マイケル・バー・ゾウハーの『ダッハウから来たスパイ』(ハヤカワ文庫)は、ユダヤ人としての民
族的出自を持ちながら、同時に愛国的なドイツ国民でもあったパウル・ファッケンハイムという男の
数奇な物語である。この本もノンフィクションだが、まるで小説のような話だ。
この本は、絶滅収容所として知られるダッハウ収容所から、ファッケンハイムが釈放される場面
から始まる。当時、中東パレスチナは英国の統治下にあったが、ドイツ国防軍諜報部は、中東に展
開する英国軍の情報を入手するために同地にスパイを送り込む計略を立てていた。そこで潜入工
作員として白羽の矢を立てられたのがファッケンハイムだったのである。
なぜファッケンハイムが選ばれたのか? パレスチナには、欧州からのユダヤ人難民が大量に
流入しており、ユダヤ人であるファッケンハイムがそのなかに紛れ込むことは容易であろう、それに
なにより、熱烈な愛国者であるファッケンハイムは裏切ることはあるまい、と国防軍諜報部は考え
たのである。他方、ファッケンハイムにとっては否も応もなかった。絶滅収容所にとどまれば死以
外にはなかったし、国防軍は高齢の母親の保護も約束したからだ。
ところが、パレスチナの地に潜入すべく落下傘降下したファッケンハイムは、着地に失敗して無
線機等の機材を全て失ったあげく、イギリス軍に逮捕されてしまう。落下傘降下の経験もない中年
男性に速成の訓練を施しただけで、右も左も分からない地に送り込もうというのが、どだい無理な
話だったのである。
ファッケンハイムはスパイとして逮捕され、イギリスの軍事法廷で裁かれることになるが、絶滅収
容所から釈放されたユダヤ人が、ドイツ軍の諜報員になったという荒唐無稽な話を信じる者などお
らず、彼は、正体不明の謎の工作員ということになってしまう。
意想外のどんでん返しの末に裁判は急展開を見せることになるのだが、ファッケンハイムには死
刑判決が下る可能性も大いにあった。愛国心に燃えるドイツ国民として自ら任じていたファッケンハ
イムが、国家によって何度も裏切られ、翻弄される姿は哀れというほかはない。
ファッケンハイムの体験は驚くべきものだが、しかし、この本にはさらに驚くべきことが書かれて
いる。ナチスドイツがユダヤ人を利用しようとしていたのと同じく、ユダヤ人もナチスを利用しようと
していたというのだ。
パレスチナの地にユダヤ人国家を建設することを目指していたシオニストは、当時、英国と敵対
関係にあった(後にイスラエル首相となるメナハム・ベギンは、英軍へのテロ容疑で指名手配され
た経歴の持ち主)。シオニストの一部急進派(シュテルン・グループ)は、反英軍事闘争にドイツか
らの支援が得られないか、国防軍諜報部に秘密交渉を持ちかけていたという。敵の敵は味方とい
う訳だ。
その秘密交渉の際、交渉役になった人物がドイツ側に持ち込んだ協定文の案には、以下のよう
な内容が盛られていたという。
「ドイツの公式記録によると、シュテルン組織はナチ・ドイツのパレスチナ征服を反英武装蜂起によ
り援助する用意がある、これに対しドイツはパレスチナにユダヤ人国家を建設することを助け、ヨー
ロッパ系ユダヤ人の同国への輸送の便宜を図ると述べられていた」
シオニスト急進派グループとナチスドイツそれぞれの思惑が複雑にもつれあっていく様を読んで
いると、中東の地に渦巻く謀略の凄まじさに息を呑む思いがする。
ホロコーストの渦中に身を置いたユダヤ人といえば、私たちの脳裏にはアンネ・フランクやV・E
・フランクルの名前がすぐに浮かぶが、アウシュヴィッツの楽団員たちやステラ、ファッケンハイムの
ような人々もいたことはあまり知られていない。彼らはいわばアンネやフランクルの陰画のような存
在である。