沖縄県立首里高等学校:養秀の杜・植物苑 掲示板

No.61 琉球和紙の卒業証書を進呈しよう

2014/06/04(水) 15:17 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
そこで、首里高校染色科の来年の卒業生30名全員に、琉球和紙にデザインした証書を進呈しようと考え、西表小学校で使われている実際の卒業証書を借りて、デザインの参考にし、ジブガーヒージャーで作られている「琉球和紙」など、とにかく和紙を扱っている金嶺さんとこの「琉球和紙のクラフト館(☎;090-3072-3689)」に、30名分の「琉球和紙」を発注し、養秀園芸サークルの会員皆川さん(染色科卒)にデザインをお願いすることになった。首里高校当局や養秀同窓会が合点してくれるか、PTAは同意するか、いろいろな意見が出るだろう。「越えるになにか難からん、渡るになにか難からん」と、校歌にもあるではないか。障害物をキリトゥンガシテ、とにかく進んでみよう。「琉球和紙」復興のために。

No.60 琉球和紙の話

2014/06/04(水) 14:57 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
話はいろいろ弾んで、お互いに協力していこうということになったが、中でも、小生の興味を一番引いたのは、西表の小学校で、琉球和紙を使った卒業証書が毎年手渡されるということ。小生、すぐひらめいたのは、母校首里高校の染色科のこと。染め織の技術、紅型の技術で群を抜いて優れているが、琉球和紙がすたれて途絶しそうな現状をどう見ておられるか。紅型だけでなく、王府時代の紙文化の再興に力を注ぐという発想はないのかな、と、一瞬思った。多様な教務課程の中に紙漉きの要素を突っ込むのは、大変だろうとは思うが、せめて、卒業証書に琉球和紙を使って、卒業していく生徒たちに、こういう文化もあったんだよと、印象付ける仕組みはできないかなあ、と、まあ、考えたことである。それで、遥か外堀あたりから応援しようと、小生たち、まず琉球和紙に使われる原料のアルウッサを集めて、育てて、展示し、スインチュだけでも「琉球和紙」のぬくもりを保ってもらおうと考えた。早速、金嶺夫妻から「アオガンピ」と「楮(コウゾ)」の苗を寄せてもらい、大宜味村へいって、「イトバショウ」の苗を仕入れてきたのです。なお、「琉球和紙」の持ち味を豊かにする方法として、粘り気のある「ホンコンカポック」や、「アカバナー」の類もあるということで、これから、とにかく「琉球和紙」と植物の世界を広げようという計画となった。

No.59 琉球和紙の話

2014/06/04(水) 14:34 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
「養秀の杜・植物苑」養秀園芸サークルが昨年発足してから、サークル以外のいろいろな趣味家グループや専門家から提案や要望が寄せられてくるようになった。その一つが「沖縄椿協会」からの提携申し込み(前述)であるが、もう一つ、興味深い分野からの情報。琉球王朝時代から育成され、繁盛した「琉球和紙」の世界。王府のいろいろな文書や芸術に使われる紙を、最初は中国から移入された技術で紙を製造し、大事に使ったであろう工芸品だったが、今次大戦で、紙の製造文化がことごとく破壊され、特徴のある「琉球和紙」が息絶えてしまった。ところが、戦後、この事態に心痛めたアチコーコー文化人が現れた。首里の儀保町にある湧水(ジブガーヒージャー)に居を構え、「琉球和紙」の復興に挺身している人がおられる。また、西表でも紙漉きに精魂を傾けているアチコーコーがおられるという。小生、こういうことには、痛く心を動かされるのだ。先日、小生の勤め先に現れたお二人(金嶺夫妻)が、琉球文化活性化事業・沖縄県文化振興会による「琉球手漉き和紙後継者育成基盤づくり」に携わっていると、自己紹介されたのだ。

No.58 沖縄椿協会の新規事業への応援

2014/06/04(水) 13:41 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
椿に関する全国組織があり、活動の歴史も古いが、沖縄の椿協会も活動の歴史は古く、毎年、例えば「美ら島財団」との共催により、開花期の真冬に、椿の展示会を開催している。協会は、城下町首里に辛うじて残存し、保護されている旧家の椿の銘木に注目し、これがいろいろな住宅事情で伐採される前に、保存し、首里城の中に移植し、保護していく企画を進めている。専門家の説によると、沖縄には在来種を含め、およそ70種以上の椿が育てられ、鑑賞されているという。一番多いのは、ヤブツバキの類で、民家の庭に、何気なく育てられ冬にどっと開花する。この椿、琉球文化にも広く取り入れられ、琉球舞踊、衣装、建築、民謡にも散見される。龍潭周辺の矼や建築物にもデザインされ、舞踊の例えばカシカキにも(?)頭の飾りに採用されていたように思う。これほど身近な花木が、民家にあまり採用されてないのが淋しい。古くは、種子から椿油を絞り、様々な木工工芸にも使われた逸材だ。「養秀の杜、植物苑」では、健児の塔の後背斜面に桜と共にこの椿も数多く植栽しようと、計画をスタートさせたばかりなので、今回の「沖縄椿協会」の新規事業に賛同して、首里城城内だけでなく、首里城南斜面、金城町、一体に広く桜と椿を広めようと、勇んでいるところです。御期待あれ。

No.57 城下町首里に残る椿の銘木

2014/06/04(水) 11:58 - 最後の一中生 期 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
70年前の沖縄戦によって、首里城と城下町首里は壊滅したが、町のスージグヮーと屋敷の輪郭はほとんど保存されている。中でも、旧家(ウドゥントゥンチ)の庭苑が少なからず残されていて、その中に戦火を免れた椿の銘木が温存されてきたことは不幸中の幸いであった。樹齢数百年のこれらの古木、銘木は、そのまま放置すると、都市開発、受託事情によって、枯死・伐採の憂き目に会うことも懸念され、琉球文化の華としての存在も消滅してしまう恐れなしとしない。そこで、椿の育成・観賞を趣味とし、使命とする「沖縄椿協会」は、時宜を失わずに、これらの銘木を救出し、保護育成するための事業を企画した。養秀同窓会「養秀の杜・植物苑」養秀園芸サークルでも、その趣旨に賛同して、園芸趣味だけでなく、古都首里の緑化花いっぱいに興味のある地区住民みなさんのご支援・ご協力をお願いすることにした。具体的には、来る6月22日(日)<一中健児の塔慰霊祭の前日>から、29日(日)までの一週間、養秀園芸祭を開催し、琉球の椿各種の展示即売会を企画し、最終日(29日)に、椿に関する講演会を持つことを企画しています。

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