沖縄県立首里高等学校:8期 掲示板

No.320 神様のいる風景

2017/11/21(火) 16:50 - Gray Moon ()
【神様のいる風景】


人生の砂時計の砂もなかばになったあなたに

子供の頃のことっておぼえてます?

たとえば小学校5年生の時のこと 同級生の名前とか、クラスで起きた出来事とか

おぼえてたり、まったく記憶になかったり まだらな過去の記憶でしかありません

でもま、そんなもんですよね

仕事やら家庭やら忙しいんですから 思い出どころじゃないってもんです



そんな時あなたに手紙が届きます

とても大切な話があると、呼び出されます

子供の頃に遊んだ場所へ

のこのこ集まっちゃったのは まったく面識のない8人の男女


呼び出した男が言う



僕たちは同級生だったんだ


「昔の話をしよう」










引用:劇団ユニットsmokers第3回公演「神様のいる風景」より (※一部修正)





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空間というものは何かで仕切ることから生まれる

対人関係の空間とは、一人だけでは生まれない


仕切るものがないからで


大抵の人は、まずはこの世に生を受けた時点、親子、兄弟姉妹、親族と自動的に、選ばず

ともすでに第一段階の空間は用意されている


年月を重ねて、縁のある人との出会いを重ねていくうちに空間はどんどん広がっていく

さらに糧を得ている仕事関係者を含めていくとさらに広がっていく

空間を仕切り囲むことは、仕切り囲われた「内側」と排 除された「外側」というふたつの

空間がうまれる。


内側は、<私達の世界><既知の現実の世界>であり、外側は<未知なる世界><知らな

い人・あの世の世界も含めた見えない・知らない何か>である

そうした世界から身を守るために<私達 の世界>を囲むことで仕切り、聖と俗・・此岸と

彼岸・この世とあの世・未知と既知というように空間をふたつの世界に分離した


内側の空間は、儀式、儀礼、契約、様々な約束事でさらに細かく仕切られて

内側を人間が自由に歩くには、それらは障害となったりもするが、秩序によって平穏が保

たれたりもする


出会いと別れによって、選択と排除によって内側の空間の形は少しは変わっていくものの

内側の空間内にいることで、さほど大きくは変わらない


結局、魂の叫び、直感のおもむくままに生きることは容易ではない

内側だけでは、単調で退屈なので、体内から創り出されるエネルギーは限られてくる




もし・・生きるか死ぬかの状況に置かれたら・・

あるいは魂が震えるような高揚した状況に身と心が置かれたなら・・・


あなたは内側と外側の境界線上に移動していることになる


この境界線上こそ、聖と俗との境目であり

“神様のいる風景”
ここでは時間というものは伸び縮みしたり、不可思議なことが現れたりする

この境界線に導ける仕掛けが神社仏閣の参道、茶室の露地、

または、導かれるように辿り着いた“ある風景”の中にある


聖と俗の境界線に触れると、「美しい」という感情が芽生える。

対極する二つの世界の境界



神様のいる風景 神様のいる風景

No.319 月・花・我・影

2017/06/28(水) 16:21 - Grey Moon ()
昔々内地のある地で

李白の月下独酌の世界を再現しようと試みたことがある


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月明かりの夜

薄いピンクの桜の花がちらちら舞い落ちる木の下で

一升の李白(島根の日本酒)を持ち出したが

相手をしてくれる者はいない

そこで杯に映った蒼い満月を酒の相手として招き

一片の花びらを杯で受けた

月と桜、私・・・それと私の影

これで酒を飲む友が4人となった

桜は静かにひらひらと舞い踊っているが

月はなんで酒を飲むのか理解できないでいるし

影はひたすらだまって私に寄り添うばかり

まあともかくこの春のひと時月の居る間は

しばらく月と影と一緒に楽しもう

私が歌えば桜は舞い、月は歩きまわり

私が舞えば影はゆらめく

心地よく酔いが回るまで一緒に楽しみ

さんざん酔った後はそれぞれ別れていく

月と花と影という、この無情の者と永遠の契りを交わして

遥かな天の川でまた逢おうと約束したのだった


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文章は李白の「月下独酌」のパクリです


月下独酌 李白

花間一壼酒

獨酌無相親

舉杯邀明月

對影成三人

月既不解飮

影徒隨我身

暫伴月將影

行樂須及春

我歌月徘徊

我舞影零亂

醒時同交歡

醉後各分散

永結無情遊

相期遥雲漢

No.318 LibertyとFreedom

2016/12/27(火) 01:18 - Gray Moon ()
Decenver 04

今日で4日連続の雨

南の3つ目の島の調査は難航していた

思い通りにならない雨の日は映画を見るに限る

確か・・・復帰前、中学生の頃、バイクだけに憧れて観た映画だった



【Easy Lider】

キャプテン・アメリカ(ピーター・フォンダ)と相棒のビリー(デニス・ホッパー)は、マリフ

ァナの仲介で大金を得て、それをバイクのガソリンタンクに隠し旅に出る。

しかし、事件やトラブルを起こしちゃいないのに行く先々で拒絶されるてしまう

何も迷惑かけてないのに。

ラスベガスでは、パレードの後ろをバイクでついていっただけなのに警察に拘留され、同じく拘

留されてる弁護士のジョージ(ジャック・ニコルソン)と出会う。

どうにか拘留が解かれジョージの提案で謝肉祭に向かうのだが、やっぱり泊めてもらえない

仕方なく、焚火を焚き野宿




そこでの会話

G「アメリカはいい国だった」

G「どうなっちまったんだ?」

B「臆病になっちまったのさ」

B「二流のモーテルさえ泊まらせないんだ、何をビビッてやがるんだ?」

G「怖がってるのは・・・」

G「君が象徴してるものさ」

B「長髪が目障りなだけさ」

G「いや、違う」

G「君に“自由”を見るのさ」

B「“自由”のどこが悪い?」

G「そう 何も悪くないさ」

G「自由を説く事と自由である事は別だ」

G「カネで動く者は自由になれない」

G「アメリカ人は自由を証明するためなら殺人も平気だ」

G「個人の自由についてはいくらでも喋るが」

G「自由な奴を見るのは怖い」

B「もしも怖がらせたら?」

G「非常に危険だ」


結局、映画の主人公達は南部に行ってツーリング中に、彼らを煙たがっていた地元の白人に銃で

撃たれ殺されてしまう・・

映画の中の彼らは何の罪もなく殺された

この映画は、あの時代(下記背景参照)の不条理で行き詰まった状況を表わしているのだろう




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<背景>
・ヒッピー(英: Hippie)
ヒッピーとは、伝統・制度などの既成の価値観に縛られた人間生活を否定することを信条とし、また、文明以前の野生生活への回帰を提唱する人々の総称。1960年代後半に、おもにアメリカ(発祥地はサンフランシスコのヘイト・アシュベリー地区との説がある)の若者の間で生まれたムーブメントで、のちに世界中に広まった
基本的に自然と愛と平和を愛する

・冷戦とベトナム戦争
冷戦構造の中、南北に分断されたベトナムの統一をめぐる争いで共産主義の北ベトナムに対しアメリカは南ベトナムを支援
多くのアメリカ人が自由主義を守る正義の戦争だと信じてたが戦局は長引きこう着状態が続いた

1967年に徴兵がキッカケで反戦運動が広がり、1968年1月30日に北ベトナム側が”テト攻勢” を仕掛け首都サイゴンのアメリカ大使館が一時占拠され米軍が大苦戦する姿がテレビ等で大きく報道され、反戦の気運が一気に高まった

なぜベトナムの農民兵を殺さなきゃならないのか?・・俺達ひょっとすると助け出す側じゃなく殺している側なんじゃないか?・・この戦争にアメリカに正義があるのか?
若者たちは戦争の意義を疑い始め反戦運動が頂点の時期に「イージー・ライダー」は公開された

1964年7月2日 公民権法制定 有色人種の法的平等が初めて認められる
ところが、南部では逆に黒人や運動家に対するリンチや暴行がエスカレートしていく

1964年6月 ミシシッピ州公民権運動家殺人事件 
3人の公民権運動家が無残な遺体となって発見された
白人の運動家が殺された事でメディアで大きく取り上げられた
捜査の結果、白人至上主義を掲げる秘密結社のメンバーによる犯行だった事が判明、その中には地元の保安官も含まれていた

南部アメリカ社会の闇に多くの人が注目する事件となった

・相次ぐ暗殺
1963年11月 ケネディー大統領暗殺
1965年 2月 マルコムX暗殺 ブラックパンサー党を組織し黒人による自衛闘争を主張
1968年 4月 キング牧師暗殺 彼の死に抗議して全米125の都市で一斉に暴動が発生

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ビールを飲みながら二つの自由について考えた


『liberty』

「選択の自由」、「ルール(法)の制約の中での自由」「社会が認める自由」

liberty には、一定の制約からの自由というニュアンスがある

liberty は、拘束や幽閉などからの自由、許可や権限にとらわれない自由について述べ

る際に好まれる。



『freedom』

freedom は誰からも妨害されずに個人の意向に従って行動する自由をいう

「あらゆる束縛からの自由」「社会が恐れる自由」「野性的な自由」

freedomそんなものは、どこにもない。地球上に存在などしない

青い鳥と同じだ

いつも自分の中にしかない



テレビなどに出ている有名人は自由そうに振舞っているように見えるが無名の市民より

はるかに自由ではない


言いたいことにはかなりの制限がかかり、言葉を間違えれば一瞬にして仕事を失う

とても小さなliberty




さて、あなたには?

どれくらいのlibertyがあるの?

No.317 子ネコとカラス

2016/12/16(金) 19:47 - Gray Moon ()
この島には昭和風の夕方までしか営業しない商店が二つはあるがコンビニはない
シーズンオフのこの島には居酒屋もなければスナックもない
あるのは寂れた食堂一つだけ
メニューはそばとカレーライス、タコライスの三つ

島へは一日一便の船でしか渡れず、シーズンオフに訪れるのは黄昏が似合うシルバーの男女の群れ

12月というのに陽差しがかなり熱いので海辺の木陰で珈琲を飲んでいると
家で飼われていると一目でわかる子猫がアスファルトの道路を渡って一定の距離を保ちながらこちらに近寄ってきた
アスファルトが切れた道の端の大きな木魔王にはカラスが3羽こちらを見ている
灰茶色したシカの親子だろうか‥じっとこちらを見ている

白と薄茶色のツートーンの子猫にパンをちぎって投げると、子猫より素早くカラスが奪っていく
2回投げたがカラスにやられた
子猫に直接あげようと手招きしても、一定の距離間を保ち、その境界線から内側に入ってこない

それではでは今度こそと、コントロールを定め、子猫の足元にパンを投げた
成功した

カラスが悔しがってカーカー鳴いた
すると、どこからともなく8羽のカラスがやってきて一緒になって子猫を取り囲むように一定の距離を保ちながらして、次に投げられるパンに備えている

その中の一羽が子猫の背後にかなり接近してきて今にもお尻を口ばしで突きそうな仕草をしている
子猫もその気配を感じてか、急に振り返ってはカラスを追っ払って警戒している

カラスってやつは賢い
パンを投げると子猫の背後のカラスが子猫を突く動作を見せたものだから子猫は
警戒し振り向いた隙をついて前方のカラスがパンを奪う

一対一では、やはり子猫が強いみたいだ

つくづく、生き物の本能である「距離感」

人間も同じ生き物、すべては、その「距離感」を測るアンテナが大事なんだと思えるようになる

距離感を間違えてぎこちなくなる人間関係
遠過ぎても近過ぎてもいけない空気の距離

手ごたえをつかんだ距離感に安心しそこに安住してもいけない
その先に待っているものは、緊張感が消えうせた「慣れ」と「退屈」

群れの中で生きていくのは結構難しいものだと思う

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日本画家の堀文子さんの心に響く言葉より…


普段は絵を描くのが怖くて。
白い紙の前でいまでも震えています。

絵を描くとき、絶えず、あぁ、ダメだ、無能だと思う。
その無念さが私の道標(みちしるべ)で、私に絵を続けさせている原動力です。
満足したことはない。

女子美を出てからまもなく、出品した絵が賞を受けて騒がれた時期もありました。
その時に、自分が若い女だから騒ぐので、こんな言葉に乗っていたら大変だ。
ある時期を過ぎたら誰も振り向かなくなるという自覚がありました。
大抵は若い時にちやほやされて、ダメにされるんです。

人それぞれ姿形が違うように、運命も皆違うのですから、誰もしないことを開拓しなければダメだと思っています。
ですから安全な道はなるべく通らない。
不安な道や未知の道を通っていくとか、獣道(けものみち)を選ぶとか。
大通りはつまらないと思っている人間で、それがいまでも続いています。

皆、朝起きた時から、安全なほうを選ぶか、不安なほうを選ぶかという二つの選択肢があると思います。
その時に私は必ず不安なほうを選ぶ癖があります。
そのほうが初めてのことでビックリするから元気が出ます。
とにかく自分をビックリさせないとダメです。

ですからなるべく不安で不慣れなことをしているようにしています。
慣れてしまうと努力しないでうまくできてしまいますから、うまくならないように、ならないように、
なるべく震えるようなところに自分の身を置いていたい。
いつまで経っても得意にならず、性懲(しょうこ)りもなくビックリしていたいと思いますね。

「群れない、慣れない、頼らない」というのは私の生き方の姿勢かもしれません。

「群れない」は、お付き合いはあまり広めないようにしています。

「慣れない」は、慣れ慣れしくなると感性が鈍ります。
子供の頃、何かを初めて見た時に感動した、あの瑞々(みずみず)しい感性を取り戻したいと思います。

「頼らない」は、何ごとも自分で処理しなければなりません。
誰かにやり方を教えてもらったら、そのとおりにすることになり、自分で決め責任をとることを忘れます。

『月刊致知 2012年1月号』(特集 生涯修行)致知出版社より


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淡いグリーン、ライトブルー、コバルトブルーの海
水平線には稜線の表情が豊かな幾つもの大小の島々が浮かんでいる
やや冷めた青色の空
心地よい空気の温度と肌触り

都会を離れ、離島めぐりはこの島で4島目になる
あと4島か・・・

目の前に拡がる美しすぎる景色

そう言えば昔、誰かが言っていた
「神様は人の姿で現れるとは限らない、美しい景色となってあなたの前に現れたりする」
「心が震えるように揺り動かされたとき、そこには神様がおられると」

No.316 Bar Hotel PC前

2016/12/13(火) 00:56 - Gray Moon ()
気象庁の「高解像度レーダーナウキャスト」では1時間後の未来が観える

同じく気象庁の「解析雨量・降水短時間予報」では6時間後の未来まで観える

日本の気象情報ではここまでが限界さ

それより欲張って未来の雨や風、波の正体が観たければ、衛星を数多くも所有している

アメリカ


この仕事に、「STORM SURF」の情報は欠かせない

7日後までの雨雲の動き、雲の厚さ薄さ、更に波や風の姿を予測ではあるが6時間ごと

に部分的ではあるが未来の明日を観せてくれる 

波や雨で一日仕事が延びれば結構なお金が逃げていき、島での11名の男たちには退屈

が待ち受けている


敵は雨と風と波

波が収まるであろう日を予測し、画像が水分の影響で地表面が乱反射してしまわない乾いた時間帯に

丑三つ時の深夜であろうとタイミングよく調査をし終えないといけない
獲物を追うように株価チャートを見るように波と雨雲の動きばかりを追っている



明日はやや強い雨雲が強く覆いかぶさってしまい調査にならない未来が判っているから

だから、久々に太陽が顔をのぞかせた今日、この島での調査を無理矢理終わらせてしまった

これで、ウサギさえ跳ねなきゃ(波の高いときは白いウサギが跳ねているように海面が見える)

3日後出港予定のフェリーにハイテク車両を預けて次の島へ渡れる



出航までの二日間は、何もすることがないから深夜まで船待ち酒曜日


今日も酒が廻れば言の葉は踊り・・・千鳥足の居酒屋から宿泊ホテルのbar pc前に場所を変えて

ここからは先は誰もいない

深夜3時、紫煙漂う霧の中、アルコールの海をゆっくり渡ると白昼には自分自身を映し出していた黒い影は話しかけてくる。

「停まってはいけない、暑い日に水は停まると腐ってしまう、寒い日、水は停まると固まって氷になってしまう、だから心も体もドタバタするに限る」

「だから滅茶苦茶でいい」
「遊び人の方便ってか?」

酔いが廻るとヘンテコリンな一枚の絵は生まれる



作品名:HUMAN NOWCAST



もし、人間ナウキャストがあったなら・・・・・

HUMAN NOWCAST

2024. 10.05 10.22 REPORT 0003

5日後の24時、人類A種D類 ID NO.4649さんは怒りの感情の雲に覆われるでしょう

怒りのレベルはやや弱く3.4

退屈指数は2.3

コンタクトをとるなら感情のエネルギー 「哀愁」「郷愁」の強い波が訪れる8日後の

14時がベターです

退屈指数も7.5と高いので、あなたの望む対応が期待できます

会う場所はマイナスイオン6.5以上の海浜から220m以内

天然木のテーブルのあるカフェ

会話の速度レベルは、ややゆっくりの4.2がよいでしょう

それはあくまでも予想なのであとはあなたの運次第!

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