2017/11/21(火) 16:50 - Gray Moon (男)
【神様のいる風景】
人生の砂時計の砂もなかばになったあなたに
子供の頃のことっておぼえてます?
たとえば小学校5年生の時のこと 同級生の名前とか、クラスで起きた出来事とか
おぼえてたり、まったく記憶になかったり まだらな過去の記憶でしかありません
でもま、そんなもんですよね
仕事やら家庭やら忙しいんですから 思い出どころじゃないってもんです
そんな時あなたに手紙が届きます
とても大切な話があると、呼び出されます
子供の頃に遊んだ場所へ
のこのこ集まっちゃったのは まったく面識のない8人の男女
呼び出した男が言う
僕たちは同級生だったんだ
「昔の話をしよう」
引用:劇団ユニットsmokers第3回公演「神様のいる風景」より (※一部修正)
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空間というものは何かで仕切ることから生まれる
対人関係の空間とは、一人だけでは生まれない
仕切るものがないからで
大抵の人は、まずはこの世に生を受けた時点、親子、兄弟姉妹、親族と自動的に、選ばず
ともすでに第一段階の空間は用意されている
年月を重ねて、縁のある人との出会いを重ねていくうちに空間はどんどん広がっていく
さらに糧を得ている仕事関係者を含めていくとさらに広がっていく
空間を仕切り囲むことは、仕切り囲われた「内側」と排 除された「外側」というふたつの
空間がうまれる。
内側は、<私達の世界><既知の現実の世界>であり、外側は<未知なる世界><知らな
い人・あの世の世界も含めた見えない・知らない何か>である
そうした世界から身を守るために<私達 の世界>を囲むことで仕切り、聖と俗・・此岸と
彼岸・この世とあの世・未知と既知というように空間をふたつの世界に分離した
内側の空間は、儀式、儀礼、契約、様々な約束事でさらに細かく仕切られて
内側を人間が自由に歩くには、それらは障害となったりもするが、秩序によって平穏が保
たれたりもする
出会いと別れによって、選択と排除によって内側の空間の形は少しは変わっていくものの
内側の空間内にいることで、さほど大きくは変わらない
結局、魂の叫び、直感のおもむくままに生きることは容易ではない
内側だけでは、単調で退屈なので、体内から創り出されるエネルギーは限られてくる
もし・・生きるか死ぬかの状況に置かれたら・・
あるいは魂が震えるような高揚した状況に身と心が置かれたなら・・・
あなたは内側と外側の境界線上に移動していることになる
この境界線上こそ、聖と俗との境目であり
“神様のいる風景”
ここでは時間というものは伸び縮みしたり、不可思議なことが現れたりする
この境界線に導ける仕掛けが神社仏閣の参道、茶室の露地、
または、導かれるように辿り着いた“ある風景”の中にある
聖と俗の境界線に触れると、「美しい」という感情が芽生える。
対極する二つの世界の境界
神様のいる風景