沖縄県立首里高等学校:7期 掲示板

No.3 定年からの人生設計~⑧

2014/01/24(金) 12:32 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
畏友野崎真昭君の訃報を聞いて、落胆し、しばらく静かにしていたが、二周忌が過ぎて、ようやく、また、やる気を取り戻している。そうはいっても、同期の並里君もこの春に逝ってしまったとは、ショックである。個人情報については言いたくないが、二人とも肥満とアルコールにやられたと、いま、思う。小生、この欄で、強調していることの中心的なテーマ、定年からの人生設計に関する重要課題の一つである。この欄の狙いは、今年、定年を迎える予定の団塊の世代の諸君。定年前にして、その後どう人生をやりくりするか、定見もなく過ごしている方々。前回は、「生活習慣病のチェック」について書いたが、今回からは、小生たちが属している二つのグループ①沖縄新老人の会、②養秀同窓会文化部「養秀の杜・植物苑」=養秀園芸サークルである。「沖縄新老人の会」は、琉大名誉教授鈴木信先生が沖縄で主導し、ONE=Okinawa New Elderly と略称される健康長寿のグループである。聖路加病院の(有名な)日野原先生を定期にお招きして、講演会を持ったり、主として啓蒙活動を展開している。次回、この欄で入会方法を述べよう。②養秀の杜・植物苑」=養秀園芸サークルは、かれこれ10年以上の活動記録を持つ、養秀同窓会文化部のサークルの一つ。会員20数名の活発なグループである。この欄の呼びかけの主題は、実は、このサークルへの入会案内である。

No.2 一中健児の像

2012/10/23(火) 16:41 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
昨日(10月22日)、養秀同窓会館で二〇会の総会が開かれた。小生たち最後の一中生(昭和19年入学)はなにしろ最下級生だから、先輩たちの前で粛々と座っているわけだが、今回の議題として「最近建立された一中健児の像をもう一体建立するということ」が論議された。何気なく今まで像を見ていたんだが、どうもピンとこないものがあり、「なんでかねえ」と、感じてはいたが、もう一体建立するとなると、なんでかねえでは済まされないなにかがあるような気がして、考えた。どうもこの像の前に立って、ちっとも感興がわかないし、緊張感も覚えない。70年前のこの地で、鉄血勤皇隊として動員され、眦を挙げて宿敵撃滅の気合いを込めて出撃した、一中生たちの漲るような緊張感がないのだ。そして、この像と同じような像を反対側に建立するということを想像すると、「ちょっと待って下さい」と、手を上げたくなる。恐らく、さっとデザインして、中国の業者に彫刻させ、設置したものだろう。なぜ、足元にある県立芸術大学にいるであろう彫刻科の教授や学生に頼まなかったか。名著「県立一中鉄血勤皇隊」を熟読させて、健児たちの身になって時間をかけて彫刻してもらえば、もっと緊張感を共感できる像ができたはず。今の像は、昭和14ー5年頃ののんびりした時代の一中生の姿として設置し、もう一体建立するとしたら、出撃前の凛々しい姿の健児像を望みたい。そうすれば、左に平和、右に戦争という対比になり、反戦平和の透徹した思想が表現できるだろう。そう考えて、同窓会事務局に提言書を提出した。諸君はどう考えますか。

No.1 一中健児の塔

2012/06/07(木) 09:33 - 最後の一中生 組 吉田朝啓 () chokei@nirai.ne.jp
首里金城町・玉御陵(タマウドゥン)の南側裏(首里高校南門向かいの安国寺横から降りて坂の南端)にある養秀会館では、毎年6月23日に全県の慰霊祭に合せて「一中健児の塔慰霊祭」を行う。教職員を含む300人余の学徒らの命を奪ったあの沖縄戦とは、なんだったのか、を問い、二度とこの地に戦いをもたらさないことを誓う、恒例の行事だが、二〇会(昭和20年3月に一中に在学していた、戦後の生き残り同志の会)と、健児たちの遺族の参列が中心で、戦後の首里高校卒の方たちの参列が少ない。致し方ない傾向だが、やはり、沖縄を背負って立つ養秀の面々が参加してこそ、心強い思いがする会合である。今年は、二〇会の全員が奮起して、一中生のシンボルとしての銅像(大理石)が新しく建立されることになり、雰囲気が刷新される。青春半ばにして戦場に散った「鉄血勤皇隊」隊員の初々しい石造である。これを見て何を思い、なにを取り込むかは、いろいろだろう。近頃増えている「一中健児の塔」への観光客、県内の参拝者、首里高校の後輩たち。どうぞ、同窓会の諸君も一度は来て見てください。

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